S弁護士辞任以降、当初の後任探し、そして苦悩の末、私たちが本人訴訟を決断し、踏み出す経緯について、ここのところ回を割いてきた。しかし、いうまでもなく、この間も、裁判が止まっていたわけではない。当初、まだ方針も定まらないまま、私たちは弁護士抜きの状態で、裁判所に向うことになった。
それは、不安という言葉では、語り尽くせないものだった。それは、こちらに弁護士がいないということ同時に、相手側だけに弁護士がいるという、非常な不均衡の不安でもあった。こちらの様子を相手側にはどう映っているのだろうか。弁護士に見離された、哀れな依頼人。外堀を埋めれた城、プロの助けを借りれない剥き身の素人。ここぞとばかし、彼らは攻勢に出てくるのではないか。相手側弁護士も、赤子の手をひねるようなみのだとほくそ笑んでいるのでは――。
そんなことばかりが頭を過り、侮られるな、弱い所を見せるわけにはいかない、という、危機感に身体を固くしていたことが思い出される。弁護士抜きの、予想以上の反動であった。もっとも、当初は一方で、弁護士に頼ることを諦めていなかったものの、このまま弁護士抜きの裁判を続ける運命ではないか、ということは頭を過っていた。どこかで、予感していたというべきかもしれない。
そもそも当時の私たち家族は、この裁判のことで、いっぱいいっぱいだった。日常生活をしていても常に裁判のことが頭にこびりつき、緊張感ではり詰めている状態で、気が休まる暇もない感じだったのを覚えている。そのうえに、弁護士に対する失望が上乗せされていた。弁護士がいない裁判なることも、もちろん想定外だったが、依頼者が弁護士に、こんなに気をつかわねばならない、ということも、全くの想定外だったのだ。
そして、こうした不安のなかでも、たんたんと裁判の日程は進んでいくということも改めて感じていた。正直、やっていかれるといった自信や感触があったわけではない。ただ、弁護士にたどりつけない現実と、たたひたすら目の前の裁判という得体の知れない存在に立ち向かうしかないと現実が横たわっていただけだった。当時の記憶をたどると、どうやってこなしたかよりも、その不安と必死だったことだけが、甦って来るのだった。
そんな時、私たちみたいな境遇の市民は、どれくらいいるのだろうか、という気持ちにもしばしば襲われた。本人訴訟という言葉、そしてそういう手段があることを私たちはいつ知ったのか。なぜか、それを思い出せないが、それが望ましくない、仕方がない手段であったのか、それとも、時に市民が必然的にとらざるを得ない、残された有効な手段というべきなのか。当時を振り返ると、そのことは、いまだにはっきりとこたえられない気がしてくるのだ。