裁判官と社協側との対話が終わり、私たちは再び部屋に審理の部屋に戻された。私たちの主張に対し、どんなやりとりが交わされ、相手側は私たちの提案した「謝罪広告」を含め、どんな反応を示したのだろうか。心中、そんな思い出いっぱいだったが、部屋に中へ足を踏み入れると、そこに立ちこめる、どんよりとした空気に包まれた。裁判官をはじめとする、まわりの表情を見て、進展なしということが、容易に推察できた。案の定といえば、案の定である。
「まず、はじめにお伝えしとことがあります。結論が申し上げますと、社協側は、謝罪広告は受け入れないとのことです」
全員も席に着いたところで、あたりをぐるりと見渡しながら、担当裁判官が、大きい強い口調で、こう切り出してきた。声のトーンに、どこか私たちを威嚇するような響きが感じた。なんとなく、裁判官が向こうサイドに立って、私たちに「通用しない」と言っているようにとれた。
「謝罪広告」という言葉に、納得がいかないという調子で、首を横にふる者が相手側席にいた。ダメ押しの意思表示というところだろうか。
やはりそうきたか――。そう思った瞬間、次に頭に浮かんできたのは、「判決」の二文字だった。ならば、「判決」覚悟で押し通そうか。どこで、このカードをきるのよいか。そんなことを考えていた。兄の顔を見ると、私と同じことを考えているのが、その表情から読み取れた。会話はせずとも、伝わっていたのだ。相手は、そんな簡単に折れることはない。こちらもいつ切りだすか、兄との間で、タイミングをうかがう暗黙のやりとりがかわされていた。
一方、相手側弁護士は、下をみて答弁書を読んでいるかのようだったが、なにか、そうしてその場をしのいでいるように見えた。弁護人と裁判官では、ある程度、水面下で何か話をしていたのだろうか。なぜか、そんな感じさえした。
弁護士以外の社協側の人間たちは、心、ここにあらずというような感じだった。すべては、弁護士任せということなのだろう、と思った。弁護士任せにはできない私たちとは、やはり心境が違うのだろうな。私たちがに弁護士がいたならば、判決を決断しようとしている私たち兄弟になんというのだろうか。なにかたしなめられるだろうか――いつもながらのことであったが、そんなことが頭を過った。
しばし沈黙が続いた。裁判官が何を考えているのかなど、私たちにはさっぱり分からなかった。社協側の弁護士は、プロとしてそういうことも分かっていたのだろうか。同室の人間が黙り込む中、裁判官自身の頭のなかを、あれこれと想像してみたが、やはり分からない。こちらが「判決」を本当に覚悟している、と思っているだろうか。
なんとなく想像できたのは、やはり、私たちの気持ちをよそに、妊婦弁護人の時間との問題で、早くケリをつけるたいと望んでいるだろう、ことだけだった。