司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 裁判員制度をめぐる、大マスコミの回答誘導的設問のアンケートも、その世論誘導的な取り上げ方も、これまでも散々見てきた印象があるが、7月11日付けで報じられた読売新聞が6月に行ったという、全国世論調査結果の扱いも相変わらずの代物だ。

 

 「『見直した上で続けるべきだ』が56%、『今のまま続けるべきだ』が18%となり、計74%が継続を支持」
 「『廃止すべきだ』は17%にとどまった」
 「裁判員として裁判に『参加したくない』と答えた人は79%に上った。前回10年3月調査の76%とあまり変わっておらず、自分は参加したくないという消極的な人が依然として多い」
 「参加したくない理由(複数回答)は、『量刑を的確に判断する自信がない』が58%でトップだった」

 

 ちなみに見出しは、当然のことながら「継続」74%である。あえて揚げ足を取らさせて頂くと、「見直し」56%と「廃止」17%の意思を合わせれば、73%がこのままの制度継続に問題性を感じているということにもなる。さすがに79%の「参加したくない」という消極派の存在を認めざるを得なかったものの、前回調査からの3%増を「あまり変わっていない」とする表現は、定着化とは真逆の方向に進む制度の現実を伝えまいと腐心しているといわれても仕方あるまい。

 

 設問自体もどうだろうか。これまでも裁判員制度推進派側のアンケートでは、国民の強制参加の是非(強制までする必要性の是非)や、職業裁判官と裁判員のどちらに裁かれたいかといった、選択制の是非につながる「裁かれる側」からの意思を問う設問は、意図的に回避されてきたとしかとれない現実がある。依然として、「判断する自信がない」という意思が、今回のアンケートでもはっきりと示されていることを考えれば、「それでも強制すべきか」という問いかけには、裁判そのものへの信頼につながる意味があるはずだ。

 

 さらに、一つ付け加えれば、前記記事のように、この結果から、なんらかの「継続」の意思を74%と読み込んだとして、同時に79%は「参加したくない」という意思を示している現実は、どう読むべきなのか。制度の趣旨には賛同し、廃止の必要性は否定しながら、自分はご免だというのであれば、もはや当事者の意見ではない。やってもいけど、他の誰かがやってくれというのであれば、あるいは推進派はそこに将来的な意識変化を期待するのかもしれないが、「継続」支持という中身の当事者意識は、相当に疑ってかかることもできないだろうか。

 

 要は、この記事から見えてくるのは、「継続」支持74%という制度期待度よりも、推進バイアスのかかった報道の苦しさであり、かつ5年経過した裁判員制度そのものの苦しさなのである。同制度について、最高裁が毎年実施している国民の意識調査でも、参加の意思について、「義務であれば参加せざるを得ない」と「義務でも参加したくない」という設問を用意し、いわば強制化の効果としての妥協的協力者の存在を浮き上がらせることで、そうした形に誘導しようとしているととれる手法もみられる(「裁判員制度『強制』効果拡大の失敗」)。

  

 ただ、そうした大マスコミを含めた推進派の思惑がはっきり見て取れると同時に、そうした苦しい手法が繰り出され続けていること自体が、もはやそういうことでは世論誘導はできない、国民にとっての裁判員制度という存在を証明しているようにみえる。

 



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