10年ほど前に、法学者たちが日本の司法について論じ本のなかに、次のような諺が引用されていた。
「人は自ら座っている椅子を自分の手で持ちあげられない」
何を言わんとするものだったかといえば、それは司法に関する自己改革の困難さだった。これは、当時、「改革」を推進する側の認識としても、強く存在していたものでもあり、それがゆえに、「改革」論議を当事者たちには任せられないとして、法曹三者を主導としない、ひいては排除といっていい基本的な立場につながっていった。
そのなかで、ある意味、この自己改革というテーマを、もっとも正面から、愚直に受けとめようとした、あるいは結果的にそうなっていったのは、弁護士会ではなかったか、と思える。そこには「隗より始めよ」というがごとく、自己改革というテーマが、率先して「改革」に打って出て、その主導的な立場を示すという発想と結び付いていたように見える。
当時、弁護士会のなかで、「登山口」などという言い方がよく聞かれた。つまりは、弁護士の自己改革を司法改革のスタートと位置づけるものだった。そして、「登山口」に存在した、最大のテーマが弁護士の増員だったといえる。いまおもえば、弁護士会のなかで、これを推進した人々には、多分にその意味でも、この自己改革への姿勢表明としての、戦略的効果を期待があったようにとれる。
ただ、一方で、弁護士会の外にいた「改革」推進派からみれば、「自ら椅子に座って」、強固な自治で囲まれている弁護士会が、自ら打って出るという、最も有り難い形になったといっていい。「改革」の「牽引車」になることを強調し、弁護士会での「改革」路線構築に主導的な役割を果たした、中坊公平という人物も、当然、前記戦略的効果を強く認識していたと考えられるが、一方で、実は後者の「外」の意向を大きく汲んだ形になっていることをどうとらえるかも、弁護士会内の現在の彼に対する評価につながっている感がある。
なぜ、そうなっているかといえば、こと数についていえば、この「改革」は弁護士の「改革」、もっといってしまえば、弁護士という存在そのものを変えるためのものだったのではないか、という意識が弁護士のなかに、根強くあるからだ。事件数に対して、弁護士の数があふれているのに対し、裁判官も検察官も増えず、逆に事件数の方が多いというアンバランス。それでも、常に弁護士増員政策だけが、「改革」としてスポットライトが当てられ、その適正人数への増員の下方修正要求も、経済的に成り立たないとする当然の主張も、大マスコミを含めた推進派からは、「反革命」ならぬ「反改革」の心得違いとして指弾されてきた。
弁護士だけが独立した事業者として、自由競争と一サービス業としての自覚をいわれ、存在させるための「基盤」の議論ができないともいえる。その流れのなかで、「やれるはず」の弁護士という描き方によって、「給費制」も消える運命となった。弁護士の過剰は、「資格」としての質の確保を脇におき、淘汰による良質化、低額化の、あてのない期待感たけが被せられている。また、それが新法曹養成の中核たる法科大学院を死守したい人々たちの要求と一致する。
冒頭の本を書いた法学者は、ある意味、純粋な意味で、前記自己改革の困難さ克服のために、積極的に発言する「国民」の存在の必要性を指摘していた。だが、皮肉にも、弁護士会も「市民のため」の「改革」を標榜し、その後の「改革」路線は、推進派が「国民」の旗のもと、あたかもそれを忖度するかのように、時に弁護士側の「反改革」姿勢を諫めつつ、進められてきた。
だが、このなかで、弁護士の強い自己改革意識の先にあった「改革」のアンバランスで、無理な現実は、果たして国民にちゃんと伝わり、それは理解されているのだろうか。「改革」のゆがみの実害も、国民の自己責任として回って来るということは認識されているだろうか。弁護士自身も、そして国民も、まず、そのことを直視しなければならないところにきている。