司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈制度意義をめぐる主張〉

 

 ところで、裁判員法第1条は、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ」とその制度の趣旨を定める。裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが何故に司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することになるのかについては定めていない。
 
 今回の一小判決も、前述のように、「裁判員制度は刑事裁判に国民の視点を入れるために導入された」と裁判員制度の意義を記している。また、前記大法廷判決は前述のほかさらに、「刑事裁判に国民が参加して民主的基盤の強化を図ること」「この制度が国民主権の理念に沿って司法の国民的基盤の強化を図るものであること」と表現し、日弁連の意見に類似した内容を述べる。
 
ところで、一方、政府参考人を務めた山崎潮司法制度改革推進本部事務局長は、前述の野沢法務大臣の発言内容をさらに強調して、法制定後の座談会で「国民もみずから参画して社会を守っていくのだという意味での意識改革をしていただきたい、それを国民に問うものだ」と述べている(「法律のひろば」58巻№6、p61)。

 

 

 〈裁判員法の捉え方〉

 
 裁判員法が何を目指すものかについては、法律は何ら明示せず、ただ裁判官と裁判員との刑事訴訟手続への共同関与が「司法に対する理解の増進と信頼の向上に資することにかんがみ」と規定しているだけである。それについて、前述のとおり最高裁、法務省、日弁連は、司法制度改革審議会の意向に沿ってその趣旨をそれぞれの立場で適当に付度して前述のように述べているに過ぎない。マスコミ、市民もいつしかそのように思い込まされてしまっている。

 
 裁判員法が定める「司法に対する理解の増進」とは、国民は司法についての理解が困難だから理解され易いように国側が努力する、また、「信頼の向上」とは、現在の司法が国民の信頼を十分に得られていないから得られるように国側がもっと配慮するというように文理上はとれる。

 
 これらの意見の大勢には、裁判員の視点や感覚或いは健全な社会常識が裁判に反映されるという点で感覚的に民主的傾向を採りいれていると受け止められているように思われる。

 

 最高裁大法廷判決のように「国民の視点や感覚と法曹の専門性との交流が相互の理解を深める」と裁判員法第1条の理解増進到達の理由を付度するものや、野沢法務大臣のように「国民の感覚が裁判の内容に反映されることによって司法に対する国民の理解や支持が深まる」と述べるものもあるけれども、法律そのものには、前述のとおり、裁判員の感覚が裁判内容に反映される、それによって司法に対する理解が増進する、信頼が向上するなどと根拠付けはしていない。

 

 そればかりではなく、裁判員の参加は国民の意識変革を求めるものだという政府参考人の腹を割った意見や、さらに前述の野沢大臣の「社会秩序や治安について考えていただく」発言もあり、また、官僚裁判官のしている仕事をじかに見てもらって裁判官がいかに信頼されるに足る仕事をしているかを見てもらうと公言していた元裁判官もいた(佐藤文哉元仙台高等裁判所長官「ジュリスト」1208号、p153)ことなどからすれば、この裁判員法1条の理解の増進、信頼の向上という用語は、最高裁を初め多くが述べる、裁判員の感覚や意見、或いは健全な社会常識の裁判への反映に当然に直結するものではない。



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