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 〈国民参加ありきの転倒した論理〉

 

 判決の掲記する国民への裁判員義務付け論の根拠は、被告国の主張をそのまま採用したものである。つまり、多様な価値観を有し、様々な社会的地位にある国民誰もが裁判員となる資格と可能性を有し、刑事裁判に関与することになるから、司法に対する理解と信頼が得られるのだという。

 

 或いは裁判所が言いたいことは、裁判員制度というものを採用する以上、裁判員が一部に偏ったものではいけないということかも知れないが、それは裁判員制度ありきの議論であって、本来は、まず、制度設計上、一般に広く国民の中から裁判員を選択しようとする、また、裁判員となることを義務付けることの正当性があるか否かが検討され、それが肯定されて初めてかかる制度が成り立つのであって、初めに国民参加の制度があるのだからその参加は平等の義務としなければならないというのは論理が逆である。

 

 前にも述べたとおり、判決は、その負担に必要性が認められ、かつその負担が合理的な範囲に留まる限り、憲法18条後段には違反しないと判示した。そもそも合理的とは何か、国民の負担が合理的な範囲とはいかなる範囲か、少なくとも、合理的範囲を超えるとはどのようなものなのかについて一切の基準を示すことなく、本件のAさんの障害が合理的範囲を超えるか否かを断ずることができる筈がない。

 

 基準という大前提があって初めて本件の事実がその基準を超えるものか否かの結論が出されなければならないのに裁判所はその本来的判断の手順を完全に誤ったというべきである。

 

 

 〈負担をめぐる「合理的範囲」という結論〉

 

 判決は、裁判員の担う職務が「相当に重い精神的負担を強いることになるであろうことが予想される」と判示しながら、その負担が制度として合理的範囲に留まっていると結論付ける。その理由として掲げるものは、

 
 ① 法16条が裁判員となることを辞退できる者を類型的に規定していること。
 ② 同条8号の辞退事由政令において、裁判員候補者として呼出しを受けた者 の個別的な事情を考慮して、やむを得ない事由がある場合には就任、出頭の辞退が認められること。
 ③ そのうち特に辞退事由政令6号は、「裁判員としての職務を行うこと等により、自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由があること」を辞退事由として定めていること。
 ④ 裁判への参加、凄惨な内容の証拠資料に触れることによって心理的、精神的に重大な負担となることが予想される場合には辞退を弾力的に認めることができると解されること。
 ⑤ 選任後にも上記辞退事由に該当するに至った場合は、辞任の申立てをし、解任される道も用意されていること。
 ⑥ 法付則3条は裁判員としての参加のための環境の整備義務を定め、その中には裁判官、検察官の裁判員等の精神的負担軽減のための工夫も含まれており、その一部は現に実現していること。
 ⑦ 旅費、日当、宿泊料の支給もなされ、経済的負担軽減措置が講じられていること。
 
というものである。
 
 上記⑥⑦を除いては、法は国民に対し無理矢理裁判員を務めさせようとしているのではない、辞退は柔軟に認められている、裁判員として裁判に参加したら、どうも自分は具合悪くなりそうだからなりたくないと言えば辞退が認められる、負担と言ってもその程度の負担に過ぎないから、そのような負担は合理的な範囲内だということのようである。

 
 一般国民は裁判に関わることが一生のうちで何回あるであろうか。傍聴することとてめったにあるまい。まして裁く行為に関与すること、まして死刑とか無期の懲役・禁錮に当る事件で裁く立場に立つことなどは絶無といってよかろう。想像もつかないような職務を担当する前に、そのような職務につき、証拠調べに立ち会い、死刑・無期の懲役刑を言い渡したら自分がどのような精神状態になるかなどは分かるはずがない。

 
 そうとすれば、「私は裁判員になったらどうなるか分からないから辞退します」と言えばそれは虚偽ではなく、立派な辞退事由になる。判決の言うことは、ともかく無理をして裁判員をやってもらわなくてもよい仕組みになっているから、裁判員の職務という負担は合理的な範囲内だといっているのと同じことなのである。



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