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 〈評議の秘密と少数意見の表明〉

 私たちはこれまで、その評議は秘密であって当然という先入観を持ち、今もその認識の者は圧倒的多数であろう。しかし、スイスでは、現在はいざ知らず、「評議の公行が認められているようである」(前掲解説p74)との記載からすると、裁判の評議が秘密でなければならないというのは自明のことではないと言える。

 前述のように、最高裁の判決には各裁判官の意見の表明が認められている。なぜ最高裁だけなのか、国民審査があるからだけなのか、下級審ではなぜ少数意見の表明が許されないのか、前掲裁判所法解説p73は、この最高裁判決における各裁判官の意見表明が許されていることを根拠に、評議の秘密の保持の根拠は裁判官の評議における自由な発言の確保にあるとする。そうであれば、下級審においても評議の過程の議論内容、経過はともかく、判決においては少数意見の表明を否定する必要はあるまい。

 国家意思の形成がどのような経緯でなされたのかを秘密にするということは、その部分を国民に隠蔽するということであり、その公表によって関係者の人権を侵害する危険があるなどの問題のある分野を除いては、本来可能な限り明らかにされるべきではではないであろうか。むしろ、下級審においても少数意見の表明を承認することが、評議を充実させるばかりではなく、上級審の判断においても適正な判断に資するのではあるまいか。

 現在もそうであるのかどうかはわからないが、我が国では長年「裁判官は弁明せず」と言われてきた。裁判官の判断は判決などの最終判断に集約されるものであり、さらにそれ以上の弁明の要はない筈であるとの前提があるからであろう。単独事件の判断であればそれは当然であろうが、合議事件の場合には、最終結論に至るまでの判断過程における各裁判官の意見の相違はともかく、結論が相違し少数意見がある場合にはそれを公表することは裁判官の良心に適い、独立の保障の憲法の規定にもむしろ添うものと解される。


 〈裁判官の独立保障にむしろ必要な公表〉

 先年、いわゆる袴田事件(昭和41年[1966年]6月に静岡県清水市[現静岡市清水区]で発生した強盗殺人放火事件)について、第1審合議体の裁判官だった熊本典道氏が、その評議の過程で多数意見である有罪・死刑の意見に対し無罪の意見を示していたこと、しかし主任裁判官として死刑判決を起案せざるを得なかったこと、その後この事件の自己の対応に関連して裁判官を辞したことが報じられた。


 「合議体でする裁判は合議の過程を通じて、裁判官の意見の主観性が捨象され、判断が客観性をそなえるようになることをその一つの特色とするもの」とし、評議において憲法76条Ⅲ項の要請が充たされて、評議の経過・内容が秘密にされれば各裁判官の意見が忌憚なく述べられ、真に客観性を備えた判断に到達し得るとその解説書は説く(p72)。そこで説かれていることは、合議事件で各裁判官の意見が公にされると各裁判官は忌憚なく自分の意見を述べることに支障をきたすものとの考えがあるようである。

 しかし、単独事件の場合、外部の意見が如何なるものであれ、自分の意見を公にしなければならない。それは裁判官の職責としての良心と独立性の実現である。評議が公にされれば自分の意見を忌憚なく述べることができないような裁判官であれば、憲法76条Ⅲ項の要請に応えられない失格者となろう。

 その事件について、証拠について心証を形成し、法律問題についてはあらゆる判例、学説を研究して評議に臨み、評議においては気概をもって議論することが裁判官の使命であれば、それが公開の場であろうが閉鎖された空間の中であろうが違いはない筈である。

 そのような理由によるのではなく、例えば評議の内容の詳細な記録までは必要がないということであれば、最終判断と異なる場合には結論とその理由についてのみでも堂々とそれを明らかにすることはむしろ良心に従って独立して裁判をする裁判官の職責にかなうものと解し得るのではあるまいか。

 裁判所法75条Ⅱ項により、少数意見を公表すれば、少数意見の裁判官の意見は明らかになり必然的に多少の数も明らかになるから、少なくともその規定がある限り、少数意見の公表は許されないことになりそうであり、現にそのような解釈により下級審においては少数意見は公表されていない。袴田事件の熊本裁判官の少数意見が公表されなかったのはこの規定に由来すると思われる。

 しかし、それ故に熊本裁判官が裁判官を辞するまでに自分を追い込むことになったという事実を見れば、少数の意見の公表は、かかる裁判官の良心に従った裁判官の独立の保障のためにはむしろ必要なことではないかと考えられる。

 最高裁判所においては、各裁判官意見の表明が認められる。その目的には最高裁判所裁判官国民審査の際の国民の判断材料の提供という目的もあるかも知れないが、意見の表明は各裁判官のその事件に向き合う真摯さを国民に示す効果があり、裁判所法75条Ⅱ項のような秘密主義は、真に守られるべき関係者の人格・名誉・プライバシー等に関わるもののほかは無意味であり、且つ憲法76条Ⅲ項の裁判官の裁判に臨む心構えにむしろ逆行するものではないかと考える。

 評議の内容は、国民の知る権利と裏腹の関係にあるものであるばかりではなく、裁判官の良心に添いその独立性を保障するものであれば、徒にこれを秘密扱いすることは正当なこととは解されない。



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