司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 〈墓穴を掘った最高裁〉

 裁判員の職務は国民の義務であり、それは憲法上しかじかの理由により正当化されると、兎も角真っ向からこの義務化の問題に取り組み、最高裁として国民に対し説得力ある論陣を張り説明責任を果たすべきであったのに、誠に遺憾ながら最高裁はそれを避けた。避けざるを得なかったというのが正しい表現かも知れない。

 避けてひねり出した理由が参政権論であり、辞退の柔軟性論である。これは、裁判員の職務が義務ではないことを認めたことに他ならない。今後は不出頭者への過料の制裁発動の余地は消滅したと言って良い。なお、最高裁が討議民主主義の立場からの裁判員義務化合憲論を知らないわけがないのに、それには全く触れずに、かかる論法による合憲論を展開したことは、前述の討議民主主義の立場からの合憲論の理由がないことを暗黙のうちに示しているのではないかと解される。

 つまり、最高裁は、問題の本質と真剣に取り組もうとしなかったために、意図する裁判員制度定着の方向とは逆の方向に制度を導くきっかけを作ったと言える。敢えて言えば、言わずもがなのこと言って墓穴を掘ったのである。

 この判示によって、裁判員になりたい人、なっても良いと思う人によってのみ裁判員裁判は運営されることになる。かかる刑事裁判が、被告人に保障されている裁判所による裁判或いは適正手続の保証された刑事裁判であると言える訳はないであろう。

 〈裁判所が国策推進者となる恐ろしさ〉

 どんな理由付けにしろ、合憲であると最高裁が判決すれば、国民は従わざるを得ない。しかし、このような不合理な権威主義丸出しの、なりふり構わぬ判決は、司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上の実現には最大の障害になることは明らかである。

 裁判員を経験することによって発症した精神的疾病を原因とする裁判員経験者からの国家賠償訴訟提起の現実性を考えた際に、その訴を裁く裁判所がこの裁判員制度のなりふり構わぬ推進者であることを考えると、日本の司法に対する信頼感が遠くに飛び去って行くのを実感せざるを得ない。つまり、裁判所が政治的になり国策推進者となったときの恐ろしさを痛感するのである。

 この裁判員制度の問題は、最高裁はじめ全ての裁判官に対し、憲法76条3項の原点に立ち返るか否かを問うているのだと思う。裁判員国民強制の根本問題について、立法府が、そして気骨ある下級審裁判官が、この最高裁の不合理な権威主義丸出しの判決を打破する行為、立法府は制度の廃止を決し、下級審は違憲の判断を示して貰いたいと強く念願している。=この項終わり



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