司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 
 〈議論されるべきは「素人裁判官」〉

 いわゆる我が国で国民の司法参加と言われているものは、職業裁判官による裁判に、日頃裁判には無縁な市民の人々を参加させること、要するに「裁判への素人参加」を意味している。

 国民の司法参加は民主主義国では当然であるとか、裁判員制度は国民の司法参加の実現として司法の民主化の第一歩だとか評されているが、それは国民の司法参加という美辞麗句に惑わされたとしか解し得ないものである。

 問題はあくまでも、素人を裁判に関与させることの是非であり、仮に是として、どのような形が望ましいかということでなければならない。そしてその判断の基準は、前述のとおり真実の発見、公平且つ適正な憲法等法令の解釈適用、基本的人権の擁護機能の向上、これらの理念を全うすることによって得られる信頼性の向上に貢献するものか否かということである。

 〈統治客体意識から統治主体意識への転換〉

 司法制度改革審議会は、「国民の一人ひとりが統治客体意識から脱却し、自立的でかつ社会的責任を負った統治主体として互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画」することを求め、「このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである。

 統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である」と指摘し、「国民が自律性と責任感を持ちつつ、広くその運用全般について、多様な形で参加することが期待される。」と述べ、その参加の一形態として、一種の参審制である裁判員制度を発案した。

 ここでは、裁判への素人参加が前述のような司法の本来の目的に貢献するか否かという視点は欠落している。難解な言葉を羅列してはいるが、要するに、国民に向かって、「あなた方はこれまで統治客体意識(いわば「被支配者意識」)ばかり持っていて統治主体意識(「支配者意識」)がなかったから、その意識改革のために、ときには日頃の仕事を離れて強大な国家権力の象徴である「人を裁く行為」に参加し、支配者意識、いわば偉くなったような意識を実感してみてはどうですか、いや実感すべきである」と宣っているということ、故山崎潮司法制度改革推進本部事務局長の言葉を借りれば、正に国民に「意識改革」をせまるものである。

 この司法制度改革審議会の表現は、主婦連の吉岡初子審議会委員も新藤幸司教授も、そして日弁連までもが用いていた。そのような表現に、国民の主権者意識の低調さを既定の事実として受け止めているこの表現者らの支配者意識丸出しの驕りを覚えるのは私だけであろうか。

 国民の司法参加と言われるものが、その実態は裁判への素人参加であるから、本来は論点をそのことに絞って議論されなければならなかった。繰り返しになるが、その議論の中心は、現在の職業裁判官による裁判が、あるべき裁判という視点から見てどこに問題があり、そこに素人が何らかの形で参加することがその問題の解決に繋がるか否かということでなければならない。

 今回制定された裁判員制度は、裁判員なる素人裁判官が直接裁判の判断に加わる制度として定められたので、ここではかかる素人の裁判参加が司法制度として真に有用であるか否かが論じられ、検討されなければならなかった。



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