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〈「選り好み」の問題ではない〉

 前述のように、学説としても、被告人の選択権を認めるべきだとする意見が強い。僅かに土井教授が司法審の意見を「立法政策上の見識」として受け入れている。

 その土井論文については西野教授が全般的に痛烈に批判しているところであるが(西野前掲p227以下)、前述の土井教授の選択権に関する意見の部分も理解することが甚だ困難なものである。

 土井教授は「もし、被告人の辞退を認めて裁判所の構成に関する憲法上の制約を回避することを容認するのであれば」というが、これは明らかに見当違いの前提である。有効に訴追された刑事被告人が国家制度としての裁判を受けなければならないことは自明のことであり、それを前提に、憲法は、その場合には被告人は、裁判所以外の裁判や不公平な裁判を受けることを拒否し、憲法が裁判所として認める裁判所の公平な裁判のみを受ける権利があり、それ以外の裁判は拒否できると定めているのである。

 被告人が裁判所の構成に関する憲法上の制約を回避して自分の選り好みで裁判所を構成し(土井教授は敢えて「選好」という国語辞典では見受けない特殊な用語を用いている)、その裁判体による裁判のみを受ける権利があるなどと論じる者はいない。選択権の問題はそのような問題として捉えられるものではない。

 上述のように、最高裁自身が基本的な裁判の担い手と認め、現に九分九厘の裁判がその基本的な担い手によって行われているというのに、指定事件のみが何故にその形式の裁判から除外されなければならないのか、それは憲法上も、また刑事司法政策としても許されるのかということである。

 〈「被告人のための制度ではない」という理由付け〉

 司法審意見書が指定事件の被告人に裁判員裁判以外の裁判を受けることを認めなかった理由は、前掲の衆議院法務委員会における与謝野委員と山崎政府参考人との応答において山崎参考人が明らかにしている。

 要するに、「裁判員裁判は被告人のためのものではない。それ故被告人の意向に関わる問題ではない。被告人に選択権を与えれば本来被告人のための制度ではないのだから被告人が裁判員裁判を選択しなくなることは明らかである。しかしながら国策としてその制度は何としても根付かせなければならない、故に被告人には選択権は認めないこととした」ということである。

 公平適正な裁判所による裁判であるか否かに関係なく、ともかく公平適正な裁判であると看做してこの制度を維持させることが先決であるということが真実の選択権否定の理由なのである。

 そのような意図のもとに制度化された裁判員裁判を被告人に強制することは問題であると考えるのは、水原委員や与謝野委員の発言にも見られる、ごく常識的なことではなかろうか。

 それでもなお裁判員裁判が憲法の認める裁判だというのであれば、被告人がそのような裁判を受けても良いと思う場合にのみ選択的に利用し得る裁判として辛うじて存在が許されるということになろう。西野、椎橋、安念、高橋各教授がそれぞれ言わんとしていることは、その趣旨ではないかと推察される。



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