司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

■織田信夫
裁判員制度反対派の論客である弁護士である筆者が、裁判員を強制する制度の問題を中心に鋭く斬り込みます。
1933年11月18日生まれ。1970年弁護士登録(仙台弁護士会)。1988年仙台弁護士会会長、1989年日弁連副会長、1999年東北弁護士会連合会会長などを歴任。
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 〈素人が加わる裁判の強制〉

 明治憲法によって我が国に近代的裁判制度が施行されてから100余年、現憲法施行後60年余の間、我が国の裁判は裁判官によって行われ(陪審法施行時においても裁判官は陪審の判断に拘束されなかった)、現に司法判断作用の99.9%、地方裁判所の刑事訴訟事件の98%超が裁判官裁判によって行われている。

 かかる裁判制度の歴史において、2009年5月から突如一部刑事事件いわゆる指定事件については、その被告人は裁判官以外の素人が加わった裁判でなければ裁判として受けることが許されなくなった。

 二小判決は、前述のとおり大法廷判決を引用して、裁判員裁判にも裁判官が判断に加わり公平性・適正性が担保されているとしてその裁判を受けることを被告人の義務とすることは憲法32条、37条違反にはならないという。

 〈違うとも違わないともいえない〉

 そこでまず、裁判官裁判と裁判員裁判との違いを見てみよう。もし、裁判官が裁判体に加わっているから裁判官裁判と実質変わりがないということであるならば、裁判員は参加してもしなくても変わりがないということになる。それは裁判員裁判の否定の理論であるから、かかる主張は裁判員制度推進論者であってもとても口にはできないことであろう。

 裁判員が加わることによって裁判が変わる、つまり憲法76条3項によって良心に従い独立してその職権を行うことが求められる裁判官が、裁判官ではない素人の意見によって自己の判断を左右されるということになれば憲法76条3項違反であり、裁判官失格になるばかりではなく、そのような裁判は憲法の要求する公正な裁判所ではないと言わざるを得なくなる。

 つまり、裁判官裁判と裁判員裁判とどこが違うかと問われた場合、制度推進論者は違うとも違わないともまともには答えられない筈である。

 限界事例ではあろうが、現裁判員制度によれば、裁判の評決は裁判官と裁判員との多数決による、但し裁判員グループの判断には少なくとも1名の裁判官の賛成がなければならないとされる(裁判官グループの判断についても裁判員1名以上の賛成がなければならない。裁判員法67条1項はそのように解されている)。

 そうとすれば、裁判員4名以上裁判官1名の結論が有罪、裁判員0ないし2名、裁判官2名が無罪のときには、判決は有罪と決せられる(西野前掲p106)、つまり裁判官だけによる裁判であれば無罪の者が、裁判員裁判では有罪になるということがあり得る。

 現実にどうかということではない。制度の仕組み上そのような結果もあり得る以上、裁判官裁判と裁判員裁判とは異なる性質の裁判体であることを否定することはできない。



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