「遅い」と烙印をおされた日本の裁判をめぐり、「迅速化」という方向が、今回の司法改革では、ずっと議論され、推し進められてきた。しかし、結論からいえば、それに伴う、前提としての「充実化」ということは、いわば条件化しきれなかった。結果は、多くの「迅速化」への慎重論者が懸念していた通り、日本の裁判は、「早く」結論に至ることの方に重きが置かれ続けているようにとれる。
日弁連は、当初から「迅速化」には「充実化」が不可欠として、インフラ整備や証拠収集のための制度改革を求めていた。その成果もあって、1審の2年以内終局を掲げた2003年施行の裁判迅速化法には、目的条項に「充実」の文言が加えられたり、参院法務委員会の付帯決議では、拙速審理、迅速化の検証結果による人事評価にクギを刺すとともに、人的・物的体制整備を図ることなどが盛り込まれた。
しかし、残念ながら、現実も、国と裁判所の発想そのものも、事実上、「迅速化」偏重、もしくは優位の、公正な裁判としては危うい状況は今も続き、固定化している。そうした中、民事訴訟手続の全面IT化ための検討に合わせて、今また、民事訴訟の審理を半年以内に終わらせる新たな制度の導入が、拙速化による審理粗雑化への懸念がある中で、法務省で検討されている。
「裁判はいまでも平均9カ月程度で終わっており、わざわざ6カ月以内に終える仕組みを新たに入れる必要は全くない。この制度は料理に例えると、少ない材料で手軽につくれるものをお客に出して済ますようなもの。裁判ではあってはならないことだ」
メディアのインタビューで、森野俊彦・元福岡高裁部総括判事が、新制度の検討について、こう語っている(朝日新聞デジタル)。特に注目できるのは、福岡氏がこのインタビューで、懸念につながる根本的な司法の現実に言及していることだ。
「裁判官には横並び意識もある。最高裁判所がつくった制度を自分だけ使いこなせないと見られ、評価が下がるのは嫌だろう。主張や立証を尽くさなくてもいいという風潮が当たり前にならないかと危惧する」
「双方が納得した計画に沿ってやるならセーフじゃないかという主張だろうが、審理が6カ月以内という点は同じ。結局は、裁判所の主導で型にはまったやり方になりかねない」
「私がまだ現役だった頃でも、過払い金訴訟の頻発などで1人当たりの事件の数が増えた。裁判官を増やしてほしいというのが、現場の切実な願いだった」
「最高裁は行政官庁と違って、予算や権限を増やすことに必ずしも強い意欲を持たない。むしろ、数をあまり増やすと、裁判官のエリート性が保てないと嫌がる傾向がある。また、国の予算が限られるなか、裁判官の数を増やすと水準の高い幹部から給与を削って給与の差を小さくせざるを得ない」
裁判官たちは、迅速化に絡めた人事評価を意識し、それが目的化した型にはまった審理に流れる危険があり、なおかつ、内容とバランスがとれた迅速化を実現するのであれば、決定的に裁判官が不足しているが、増員できない理由が存在している――。
「迅速化」を実現するためには、「充実化」、とりわけ決定的に裁判官の増員が必要であったことも、拙速審理化や人事評価との関係での危険性も、当初の懸念論がそのまま的中し、かつ、何も状況が変わっていないことが分かる。法曹人口増員政策が結局、弁護士だけを激増させ、その資格の経済価値を棄損させながら、一方で当初掲げられていた、十分な裁判官増に繋がっていない現実があるが、固定化したといっていい、前記森野氏指摘の裁判官事情の前に、弁護士会からの要求が、もはやそれほど大きなものになっていない現実もある。
相も変わらない裁判を「迅速化」させるという方向に対し、まず、本当に変わっていないものは何なのかを考える必要がある。