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 〈裁判員制度自体の問題〉

 

 裁判員制度自体の問題については、私はこれまで繰り返し論じてきた(拙著「裁判員制度廃止論」花伝社、「司法ウォッチ」のコラム等)ので改めて論じることは控える。また、私以外にも、西野喜一新潟大学大学院名誉教授著「裁判員制度の正体」(講談社現代新書)、同「裁判員制度批判」(西神田編集室)、同「さらば裁判員制度」(ミネルヴァ書房)、高山俊吉「裁判員制度はいらない」(講談社)等多くの優れた著作があり、そこでは制度の問題性、憲法違反性等が適切に指摘されているので参照されたい。

 

 社説が裁判員制度を国民が死刑と向き合う機会になどと言うのであれば、これまで論じられてきた裁判員制度批判意見にどのように反論し、国民はその反論にどのような反応を見せるかを確認した後にすべきではなかったろうか。

 

 今回の社説の説得力のなさは、全国的に読者を抱える大新聞の意見としては誠に残念なことと言わざるを得ない。

 

 

 〈死刑との関連性〉

 

 裁判員制度反対の理由の一つとして、死刑事件が対象事件に含まれていることを掲げる立場がある(伊佐千尋外「裁判員拒否のすすめ」中の亀井洋志「あなたは死刑判決に耐えられるか」WWWE出版など)。私は以前、裁判員制度に関するシンポジウムでパネラーの一人になったとき、コーディネーターから、死刑と裁判員制度との関連性をどう考えるかと問われたことがある。そのときには、そのような質問を急に振られるとは思わなかったので、慌てて日頃漠と考えていることを述べさせていただいた。

 

 基本的に、死刑制度と裁判員制度との間には関連性はなく、各制度の問題性はそれぞれ別個に論じられ検討されなければならない。裁判員制度の問題に関する、私がこれまで述べてきた私の立場からすれば、その対象事件に死刑事件を含めるか否かにかかわらず、くじで一般市民を強制的に裁判官の仕事に就かせることは、憲法上許されることではなく、裁判制度としても許されるべきではないというものであるから、死刑事件を裁判員裁判対象事件から外せば裁判員制度は許されるなどとは考えない。

 

 それでは、裁判員制度を離れて死刑制度自体をどう考えるか。裁判官が死刑判決をすることは認められるか、刑罰法規に死刑を刑罰の一つとして定めることは許されるかという問題については、前述の死刑廃止世界連盟の宣言やEU代表部の公式マガジンで述べられていることが中心的なものではあるが、私は長い間勝手に次のように考えてきた。

 

 人間の行為は、その親から受け継いだ素質と、出生後の成育環境、教育訓練等の社会的関連性を無視しては有り得ない。決定論、自由意思論の議論は長く論じられてきたことではあるが、自由意思論は、どちらかと言えば信仰に類するものであり、論理的に考えれば証明は困難であろう。どちらかと言えば、社会的安定性を得るための方便として考え出されているのではないかと考える。



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