〈「かけはし」に込めた思い〉
昨年(2014年)11月下旬、福岡の「市民のための刑事弁護を共に追求する会」のお招きで、福島国賠訴訟判決についてお話をする機会が与えられた。福岡は私の裁判官としての初任地ということもあり、市内に2泊して久しぶりに街を歩いてみた。大濠公園や西公園にも足を延ばした。大濠公園のほど近くにある福岡高裁庁舎を見たとき、一瞬どきりとした。その庁舎玄関の上方に「国民と司法のかけはし 裁判員制度」と大きく横長に書かれている看板を見付けたからである。「裁判員制度」だけが朱色で表示されていた。
私の住む仙台の裁判所にも、その周りを囲む塀の一角に「裁判員ともに!」と書かれた看板が立っているが、私は、この「かけはし」の言葉に「裁判員ともに!」とは異質の、その裁判所の裁判員制度にかける並々ならぬ思いを感じた。
仙台の裁判所構内に掲げられている「裁判員ともに!」も、裁判員制度の肯定を前提とする標語であるから、制度反対の私には決して気分の良いものではないが、法制度として市民の参加する裁判が現に定められている以上、「裁判員をともにつとめましょう!」程度のことなら仕方がないかなとは思っていた。
ただし、余談だが、現在、仙台高裁には、一審福島地裁で行われた国賠訴訟の控訴審が係属していることを考えれば、最高裁の通達によるにしてもこのような宣伝めいたものは掲げない方が良いのではないかと思っている。
〈制度批判受け入れ拒否を宣明している看板〉
ところで、この福岡高裁庁舎の「国民と司法のかけはし 裁判員制度」の標語は、福岡の裁判所が、どういう状況認識の下で、何故に「かけはし」なる言葉を用いたのかはわからないけれども、肘度すれば、これまで司法は国民からは縁遠い存在だったけれど、裁判員制度という、一般市民が裁判に直接関わる制度ができれば、一般市民と司法との距離は縮まり、いわゆる裁判というものが国民に身近なものになるとでも言いたいのではないかと思われる。
しかし、それは単に裁判員として参加してほしいというものではなく、紛れもなく制度の意義を強調しその推進を狙うプロパガンダである。
仮に、福島国賠訴訟のような事件が福岡地裁或いは高裁に係属していたとしても、福岡の裁判所はこの看板を下ろすようなことはしなかったであろうか。福島国賠訴訟の記事は全国紙に複数回掲載された。福岡の裁判所も当然その事件のことは知っていたであろう。しかし、それは飽くまで他人事、福岡の問題ではないから、今ここで急に金をかけてその看板を下ろす必要はないとでも判断したのであろうか。
裁判員制度は、多くの憲法問題を含むものであることは夙に指摘されていた。それでも、かかる宣伝看板を掲げることは、当初からこの制度批判の意見は受け入れませんよと宣明しているようなものになるとは考えなかったのであろうか。
福岡在住の弁護士の方々は余り気にも留めず、この看板にはさしたる抵抗を感じなかったのかも知れないけれども、国を相手に裁判員制度の違憲性を前面に掲げて国賠訴訟を提起、遂行して来た弁護士としては、裁判所がかかるスローガンを玄関の上部にでかでかと掲げて、裁判員制度を推奨しているのを見せつけられれば、そのような裁判所を相手に、裁判員制度の違憲性を主張し、最高裁判所裁判官15名の上告趣意捏造による当方依頼者への不法行為を大真面目で主張したものとしては強い違和感を覚えざるを得なかった。