〈裁判員職務は「権限」で放棄可と判示〉
前記大法廷判決は、裁判員の職務が憲法18条の定める苦役であるかという論点(上告趣意には含まれないものであり、本来判断を示すべきものではなかったが、それはさて置き)について、何とその職務は国民の「参政権と同様の権限を国民に付与するものであ」るとの判断を示した。
権限であれば、これを放棄できる。裁判員は辞退が可能だと判示したのである。この情報が国民周知のものとなれば、裁判員は、裁判官の仕事をしてみたいと思う物好き、暇人の日当稼ぎ、前述の意識調査の数値から言えば男性では18.2%、女性では6.7%平均12%強の人によってのみ維持されることになるであろう。
現在は、最高裁判所も日弁連も、そしてマスメディアも、この最高裁判決の情報、即ち裁判員になるかならないかはあなた次第だということを周知させておらず、最高裁が相変わらず過料の制裁をちらつかせ国民を騙し人集めをしているから、やりたくなくてもやらなければならない、過料の制裁を受けるのは嫌だと芯から思って嫌々ながら参加している人々がいることも、制度維持に役立っているのかも知れない。
〈実体に気付き行動すべき日弁連〉
ここまで、この破綻し終末期を迎えている裁判員制度を延命させている理由について概観してきた。その延命に最も尽力しているのは、明らかに違憲のデパートであるこの制度について、説得力のない理屈を並べて、上告趣意を捏造して合憲と述べ、肝心な点について今もなお判断を示していない最高裁であることは間違いない。
終末期制度とはいえ、人工呼吸器を外さず胃瘻で栄養補給し、延命に手を貸している者がいれば、そう簡単には終末を迎えられない。しかし、日弁連が、この裁判員制度が日弁連の掲げる司法の民主化、その実質化(それ自体誤りであることについては拙稿「司法ウォッチ2014年8月1日~同年10月1日」参照)とは全く相反する官僚司法の基盤強化策であることに気が付き、弁護士法1条の弁護士の使命を改めて心に留め、ここで国民、被告人の人権の擁護と社会正義の実現に燃えるような情熱を発揮し、マスメディアに働きかけすれば、この見せかけ民主的官僚裁判官制度は完全に消滅することは間違いない。
マスメディアはそれを受けて強力な日弁連バックアップ論を展開し、国民と共に司法について深く考察し、それに基づく真にあるべき司法を論じる姿を見せてほしい。