〈はじめに〉
最高裁判所は、毎年、裁判員と補充裁判員経験者に対しアンケート調査を実施し、その結果を公表している。
その質問事項には、「裁判員として裁判に参加した感想」があり、補充裁判員に対しても同様の質問事項がある。そのアンケートの選択肢は、回答から、「非常によい経験と感じた」、「よい経験と感じた」、「あまりよい経験とは感じなかった」、「よい経験とは感じなかった」、「特に感じることはなかった」、「不明」の6択と思われる。平成28年の回答は、「非常によい経験と感じた」と「よい経験と感じた」の回答を合わせると96%になる。その傾向は、制度開始以来殆ど変っていない。
かつて、四宮 啓 国学院大学教授は、「裁判所から通知が来たら『自分と社会を変えるプラチナチケット』と受け止めてほしい。」と述べていた(2007年12月30日朝日新聞)。また、同教授は、2015年6月12日のNHKの番組「視点・論点」で、「裁判員を経験した方の感想は毎年95%以上の方がよい経験だったと答えており、これは制度導入以来一貫しています」と紹介し、それでも辞退率が向上しているのはこの裁判員経験者の「よい経験だった」という思いが社会で共有されていないことを示しているのではないかと話していた。
朝日新聞のコラム「耕論」に、ある女性裁判員経験者の声が掲載されたことがある(2015年11月18日)。「3日目に判決を終えると達成感でやってよかったと心から思いました」と述べながら、それでもその後、「知識もないのに人の人生を左右する判断をしてしまったことに悩み苦しむようになった時、検察官に会う機会がありました。『裁判員をして何かいいことがあるでしょうか』と尋ねると、その検察官は言いました。『犯罪を他人事と思わない人が増えれば、犯罪の抑止力になる』。小さな一歩かもしれないけれども、自分の経験は社会のためになる。ようやく終着点を見つけた気がしました」と記されていた。
人は誰でも、日頃味わえない経験をすれば、それが不慮の出来事のような危険を伴うものでもない限り、人生一度きりの貴重な経験をして(させてもらって)本当に良かったと思うのは当り前の感想であろう。しかも、裁判官席に一般市民が座り、罪を犯した疑いで法廷に立たされる人間に対し、裁く立場、いわば権力を有する強者の立場で対するなどという経験は、長い人生の中でも確率は極めて低く、そのような千載一遇とも言えるチャンスを得ることは宝くじに当たるよりも貴重な経験であろう。四宮教授が、プラチナチケットをもらったようなものと言うのも分からないではない。人にはまた、自己の経験がいかなるものであろうと、プラスに捉えたいという心理がある。
最高裁判所は、これまで毎年、恐らく前例踏襲のお役所的慣習からか、アンケート調査で同じ発問を繰り返している。かかる最高裁の行為に関して市民として何も発言しないでよいのか、その行為を是認していると誤解されてはいけないのではないかと思い、以下にその問題点を指摘することとした。