〈司法審意見書からみた検証事項〉
周知のことだが、この制度は2001年6月12日に出された司法制度改革審議会意見書の提言に源を置くものである。そうであれば、その提言やその根拠には疑問はあるけれども、それはさて置き検証さるべき事項は、少なくともその提言で取り上げられたものをしっかりと捉えているかがまず問われなければなるまい。
そうであれば検証事項としては以下のようなものになるべきではなかったかと考える。
① 国民はこれまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却できたか。自らのうちに公共意識を醸成し公共的事柄に対する能動的姿勢を強めたか。
② 司法の分野において国民が自律性と責任感を持ちつつ広くその運用全般について多様な形で参加するようになったか。
③ それによって司法と国民との接地面は広くなり、司法に対する国民の理解が進み司法ないし裁判の過程が分かりやすくなったか。
④ 司法制度を支える法曹の在り方は見直され、国民の期待・信頼に応えうる法曹は確保されたか。
⑤ 国民の側は積極的に法曹との豊かなコミュニケーションの場の形成・維持に努めたか。
⑥ 国民自身が国家のための司法の実現を支える役割を果たしたか。
⑦ 司法への国民の主体的参加は得られたか。
⑧ 司法の国民的基盤はより強固なものとなったか。
以上の項目のうち、③④⑧を除いて、全て民主国家の国民としての意識改革を求めるものである。③④⑧はその意識改革によって得られる司法と法曹の姿の変化ということである。
〈司法への国民参加提言の趣旨〉
元々、司法審の司法への国民参加提言は、要するに、「国民よ、もっと司法に目を向け、主体的に参加しなければなりません、だから、まず新聞種になるような事件で法壇に立って裁判官の真似事をしてみなさい、そうすれば司法も法曹も皆変わるよ」ということであった。
そのような提言を国会はほぼ全会一致で受け入れ裁判員制度を発足させた。発足して10年が経ち、上記の提言者が今知りたいもの、その提言を受け入れた国会が今知りたいものは何か、簡単に言えばそれは国民の意識に変化が生じ、裁判の仕事もまんざらでもない、できればもっとしてみたいと思うようになったか、そのような国民の変化によって司法の側も、これはうかうかしていられない、しっかりしなければならないと気を引き締めるようになったかということではなかろうか。
施行10年目の検証は、最低限その提言者や国会が知りたいこと、知るべきことを事実として示すことであったであろう。