司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈意識調査結果が伝える危機〉
 
 最高裁が毎年行っている裁判員制度に関する意識調査の調査項目に、「あなたは裁判員として刑事裁判に参加したいと思いますか」という設問がある。2015年1月の調査では、「参加しても良い」が男性12.9%、女性4.7%、「参加したい」が男性5.3%、女性2%となっており、逆に「あまり参加したくない」「義務であっても参加したくない」を合わせた数字は男性81.4%、女性92.4%である。

 

 司法審の意見書によれば、裁判員制度は国民の主体的参加を得て初めてその存在意義が認められるものであることからすれば、この数字を見ただけでも、この制度は間違いなく危機に瀕していると言える。

 

 それだけではなく、裁判員裁判の実施状況についての2015年11月末速報値によれば、選定された裁判員候補者数に対する選任手続期日に出席した裁判員候補者数の割合(出席率)は24.9%、選任手続期日に出席した裁判員候補者数の選任手続期日に出席を求められた裁判員候補者数に対する割合は68%であり、辞退率(辞退を認められた裁判員候補者の、選定された裁判員候補者数に対する割合)は64.7%、つまりほぼ3分の2に達している。重要なことは、統計を取り始めた2009年以降、出席率は毎年下がり、辞退率は年々上昇傾向にあるということである。

 
 裁判員制度は、憲法違反であり、運用や実績がどうであるかにかかわらず、制度として存続の認められないものではあるが、現実に行われている状態を見ても、正に破綻状態にあると評して間違いがない(その詳細な調査分析は「マスコミが伝えない裁判員制度の真相」[猪野亨外著、花伝社]に詳しい)。本質的に制度としては許されないものである上に、現実の運営状態も破綻状態にあるのに、それでもなお裁判員裁判は行われ続けているのはいかなる理由によるのであろうか。本稿はその点についての考察である。

 

 

 〈制度というものの惰性的継続性〉

 
 「文明というのは制度と装置ですけれども、制度と装置が一旦できたらその制度と装置が合わなくなっても中々壊れにくいですよね。そこに綻び、亀裂ができていることが分かってもがらがらしゃんと壊すのが難しいから、どうしても綻びのまま、だらだら行ってしまう」(国立民族学博物館小長谷有紀教授の発言。拙著「裁判員制度廃止論」p62)。

 

 小長谷教授はその言葉に関連して原発を例に挙げているが、また、現在の裁判員制度のことを言い当てているようにもとれる言葉である。

 
 制度制定時には、マスメディアはこの制度の問題について何回も取り上げ、政治の世界でもまた一般人も、専門家、素人を問わず活発な発言をしたけれども、最近はテレビも新聞も、裁判員裁判で、しかじかの判決が出たという程度のことを小さく報じるだけになってしまった。

 
 それでは、裁判員制度は、このような一般の制度と同様に、宿命のように、だらだらと惰性的に存続して行く運命を辿るのであろうか。

 
 私は、裁判員制度はそのように壊れかかっていても、それが存在し継続することによって利益を得るもの、得られると思い込んでいるものがおり、そのものらの働きがあることによって、壊れることなく制度は存続していくことになるのではないかと危惧している。そのような働きをするものとは誰か。



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