法科大学院制度が、質、教育レベルにおいて、無視できない学校間格差を生んでしまったことは、もはや制度擁護派からも、メディア関係者も、「改革」の反省点として聞かれることになっている (「法科大学院はどこへ向かうのか(上)」)。法曹教育に対して、各校がそれぞれの特色を持ち、国際的感覚や最先端実務に対する力の入れ方が違うのは、もちろん今でも肯定的とられられていても、個々の教員の熱意やアプローチは違い、さらに司法試験をパスすることが念頭にある学生からすれば、その評価は大きく分かれる。
そして、何よりも司法試験合格率という結果に歴然たる差が生まれ、かつ既に74校中35校が募集停止や撤退に追い込まれている事実そのものが、目を背けることができない学校間格差ということもできる。現在、提案されている、全国の法科大学院生に対する「共通到達度確認試験」の実施も、ようやく学校間格差をいらみ、水平的なレベルの判断材料にするというところに到達したことを意味している。
しかし、この制度は、法曹養成の中核を占める機関でありながら、学校間格差が生まれることを、なぜか軽視してきたととれる面がある。そもそも大学の自治があり、学校の自主的な判断やさらにはその経営に法曹の教育という枠組みにあっては、それまでの各校の司法試験合格実績からみても、質のバラツキは当然に想定できたことだった。しかも、この機に乗り遅れるなとばかり、町おこしのようにわれもわれもと立ち上げに走った74校のなかには、一見して法曹養成実績で頼りないものもあったし、また、教育にかける熱意や計画性も、既にはっきりしたバラツキがあった。
それでも前に制度を進めたのには、とにかく制度化を急いだ「改革」の現実がある。1998年の大学審議会答申後、2001年の司法制度改革審議会で設置が提唱され、わずか3年で開校という駆け足の対応の背景には、2010年ころまでに新司法試験の年間合格者3000人、2018年ころまでに実働法曹人口5万人規模などという見込みを立てた膨大の法曹人口激増政策とこの制度が結び付き、まさにそれを支えるものとして制度が構想されていたからにほかならない。
本来、大学の制度参入には、事前に適正を審査するという方法もあったが、結果的に「改革」を急ぐあまり、この指とまれ的な参入を認めることになった。当局は、想定外の74校の立ち上げを、制度が立ち行かなくなった原因の公式見解のように繰り返すことになったが、それは性急な「改革」が生み出したものにほかならない。
学校間の格差、バラツキが特に問題視されなければならないのは、いうまでもく、この制度が資格制度にかかわるものだからである。制度立ち上げ当初、制度推進を呼びかけ、あるいは前のめりになっている関係者らに、この問題をどう考えるのかについて聞いて回ったことがあるが、ほどろくほど彼ら楽観視、もしくはそのことに無関心であったという印象が残っている。
既に法科大学院が各校、厳格な認証評価が課されることが決まっており、それによって質が確保されるという見方、最終的に司法試験が課され、従前のような司法修習もあることで、資格そのものへの実害がないようにいう意見もあった。ただ、結果からすれば、その司法試験には二割台しか合格者を輩出できず、いまやその関門のレベルを法科大学院の現実的なレベルに沿わせよ、とまで言い出している。
そもそも資格制度によって、質を均一化させる、そのことに中核としてかかわっていくという考え方は、制度とそれを支える側に希薄だったようにとれる。資格による専門家の質の均一化や保証よりも、法科大学院は一定レベルの人材を輩出すればよく、その先の資格者の質の均一化は、増員政策下にもたらされる資格者(弁護士)の競争・淘汰に委ねられるという考え方をはらんでいたことは、むしろ制度が壁にぶつかり出してからの論議のなかで、より明確になった。とにかく合格させろ、合格率を上げよ、社会放出せよ、という捉え方は、志望者減という事態を招いた現在も、合格率「主因説」となって、彼らの口から聞かれることである。
資格制度は、ある一定の質を担保すること、限りなく均一化を目指すことが、むしろ制度の生命線である。「改革」論議のなかでは、弁護士利用者のメリットやニーズが散々取り沙汰されてきたが、資格が一定の質とそれによる安心を保証してるということは、むしろ利用者が最低限求めているニーズといっていい。その意味では、限りなくそれを目指すことが、制度の理想であってもいいはずだ。
「改革」と新法曹養制度が、果たしてそういう発想で作られ、ここまできたのか。バラツキを必然的に生み出し、いま、制度存続が自己目的化しているようにとれる、法科大学院という機関が、果たして法曹養成の中核にふさわしいのか、彼らの存続から逆算した政策を推し進めることが、本当にこの国の法曹養成にふさわしいのか、もう一度、制度の発想をさかのぼっていま、考えてみる必要がある。