司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 〈安心して司法を委ねられる存在〉

 国民は、主権者として国家の統治行為を憲法の定める手続きによって公務員に委ねた。国家意思の形成は国会に、その執行は内閣に、国家の理性的判断は裁判所に委ねた。

 大切なことは、選ばれた者全てが全体の奉仕者としてその選ばれた場所において選ばれた目的を最大限に達成できるように、全精力を傾注し、情熱を持って、委ねた国民に完全な責任を果たすという全体への奉仕者意識を持ち続けることである。そうではないと思われる場面の多々あることは誠に残念であるが、それ故にこそ国民はそれらに対する厳しい監視を怠らないことである。

 ところで、前述した崇高な使命を有する裁判官をどのように選ぶべきか。憲法は下級裁判所の裁判官について「最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣でこれを任命する」(80条)と定める。最高裁判所がその名簿をどのように調整するかは、憲法は定めていない。極端なことを言えば、憲法80条の規定に適合するならば、国民の中から無作為に選んだ者でも構わない。

 しかし、当然のことながら、裁判という崇高な職務を委ね得る者が無作為に選んだいかなる人間でも良いということになる筈がない。それは憲法を正しく理解し且つ尊重し、法令に精通し、市民からも人格的に信頼され得るものでなければならない。そうでなかったら、国民は安心してその者に司法を委ねることはできないであろう。だからこそ、優れた法曹の任用、養成は、国家としての大事業なのである。

 憲法32条の裁判所における裁判というのは、裁判官による裁判とは書かれていないから裁判員による裁判も違憲ではないという説もないわけではないけれども(前掲平良木論文5頁外)、憲法32条に規定する裁判所というのは、間違いなく憲法76条以下により、国民の信頼に応えうる裁判官によって構成される裁判所のことである。

 〈問題は裁判所の統制的な体質〉

 我が国の司法は、裁判官の公正性、廉直性において諸外国にひけを取らないだけではなく、立法・行政に携わる者とは比較にならないほど高度であることは日頃裁判所と接触している者として感じている。それ故に個々の裁判に対する信頼度は決して低いものではない。

 しかし、先の寺西判事補懲戒事件に典型的に見られる裁判所の閉鎖的体質、いわゆる人質司法といわれる刑事裁判の実態、そして今次の司法改革について、本来であれば渦中にある当人として各裁判官が自由に発言して然るべきであったのに、まるで貝にでもなったかのように黙り自由な発言を控えてしまうような雰囲気、最高裁判所の人事権によるまるで行政官庁のような転官転所の実施、いわゆる判検交流による権力機関同志の人事の交流、総じて個性の強い者ははじき出されるか、中央への異動は遠のくということによる良い子主義、長官・所長が一般の裁判官よりも偉い、つまりそのような職につくことが栄転と認識されるような状況等、個々の判決には必ずしも表れてはこない裁判所を巡る全般的な体質を私は大きな問題として捉えている。

 求められるべきは裁判官一人一人の自由な批判的意見と発想、そしてその表現がなされることではないかと思う。この裁判員制度についても裁判官の間で憲法問題から自由闊達に論じられ発表されて然るべきであった。



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