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 〈最高裁の掲げる統治の基本原理〉

 

 大法廷判決のとった複合的解釈手法のうちの「憲法が採用する統治の基本原理」として、同判決は何を取り上げたであろうか。

 

 それは、前述の「刑事裁判の基本的な担い手として裁判官を想定している」という結論を導くための「近代民主主義国家には刑事裁判権の行使が適切に行われるための人権保障規定があり、三権分立の原則の下に裁判官の職権行使の独立と身分保障について周到な規定を設けていること」を述べ、且つ憲法はあらゆる国家の行為は国民の厳粛な信託によるものであるとする国民主権の原理を宣言した旨を掲記する。

 

 

 〈統治手続原理規定との整合性という問題〉

 

 しかし、最高裁の取り上げた「この憲法が採用する統治の基本原理」には、本来検討さるべき重大な点が欠落していた。

 

 司法への国民参加は、国民を司法権という国家権力に加担させることであり、それは、前述のとおり国民を公務員の地位につけることであるから、当然に憲法15条の統治手続原理の規定との整合性が検討されなければならなかった。大法廷判決にはその点の検討の痕跡はない。

 

 間接民主政を基幹とするこの民主主義国家の進むべき道を誤りなく定め、国民の権利、国家社会の安全、憲法によって定められた国家の姿を守るのは、国民から厳粛な信託を受けた代表者、つまり憲法15条1項に規定された公務員である。当然のことながら、その公務員は与えられた職責を十全に全うすることのできる能力と適性を備えていることが肝要である。単に国家だけでなく、社会が良好な状態であり続ける要は、適所に適切な人材を備えることに尽きる。同条により国民固有の権利とされた「公務員の選定、罷免権」は、かかる認識を当然の前提としている。

 

 それ故に、裁判員という新たな公務員を設けようとするときには、同条に定める国民の公務員選定権が実質的に保障されることが絶対に必要である。

 

 大法廷判決が国民の司法への参加についての憲法が採用する統治の基本原理を検討すると記した以上は、この憲法15条に関する検討を逃すべきではなかったのである。



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