〈変遷した政府見解〉
昭和21(1946)年6月、第90回帝国議会衆議院本会議において、吉田茂首相は次のように述べています。
「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然り。わが国においてはいかなる名義を以てしても交戦権はまず第一自ら進んで放棄する。放棄することによって全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意をまず此の憲法において表明したいのであります」
ここでは、政府見解として、結論としては「9条は、自衛戦争も放棄するものである」とはっきり述べています。
ただ、吉田首相は「直接には自衛権は否定しておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べており、この点が後日に論争の種を残したような気がしてなりません。
このためでしょうか、憲法施行後しばらくの間の政府見解は、「第1項は侵略戦争を否定するものであって、自衛戦争まで否定するものではないが、第2項が戦力の保持及び交戦権を否定する結果として、結局、自衛戦争を行うことができない」というものでした。
その理由付けは、いずれにしても当初の政府見解は「自衛戦争も放棄している」というものでした。結論には賛成ですが、この理由付けには反対です。
1項は、侵略戦争は勿論、制裁戦争も自衛戦争も名目の如何にかかわらず、全ての戦争を含む「完全戦争放棄」を宣言し、2項は、それを実現するための具体的方法として、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を以て「戦争放棄」を制度的に保障したものと考えるのが素直な解釈です。違う解釈も学説も勿論ありますが、私は1項と2項の関係をそう考えています。
吉田首相は、「自衛権」と「自衛権の発動としての戦争」とを分けて述べています。これは正論です。ただ、前述の通り「第2項の結果」と述べたことが、のちに「戦争を望む勢力」に悪用された感じがします。
昭和27(1952)年11月29日の第15回衆議院外務委員会において、木村篤太郎国務大臣は次のように述べています。
「いわゆる侵略戦争をとめようというのが、私は憲法第9条の大眼目であろうと考えております。従いまして、日本が自衛力はこれを保持することは何ら禁止されておるわけではありません。従いましてこのいわゆる侵略戦争を禁止する1つの方法として、第2項において戦力を保持してはならぬ、こう考えているのであります」
ここでは、「自衛戦争は放棄していない」という前提で、「自衛のための戦力は保持できる」という見解に変わってきています。いつの間にやら、政府見解はそのように移り変わってしまったのです。
〈米国の影響〉
昭和25(1950)年に朝鮮戦争が勃発し、その年に警察予備隊ができ、2年後には保安隊に改組され、さらに2年後には自衛隊となりました。憲法9条が創り出された当時の「自衛戦争も放棄した」という政府見解は、「自衛戦争は放棄していない」、「自衛戦争のための戦力は保持できる」と変わったのです。そして、自衛隊ができたのです。
朝鮮戦争においては、戦場に近い日本は米国にとって戦略的に重要な意味を持ち、米国としては、日本に対し「米国と共同して戦ってもらいたい」という思いになることは理解できなくはありません。その米国の意を受けて、自衛隊がでたことは間違いないと思います。
まだ小学低学年でしたが、警察予備隊、保安隊、自衛隊に反対するビラが各家庭に配布されてきた記憶があります。国民の中には政府の動きに対し、反対した人が少なからずいたようですが、時の勢いに押し切られたものと思います。
平成27(2015)年3月21日付け読売新聞の「憲法考」には、「国連による安全確保という理想は、朝鮮戦争や米ソ冷戦で崩壊。米国は日本に再軍備を求め、54年に自衛隊が創設された」と述べられています。自衛隊の創設は、米国の求めによるものであったことは明らかです。
「自衛隊は合憲か、違憲か」は、今以て論争の種となっています。明確な決着がつかないうちに、安倍政権は平成26(2014)年7月1日、集団的自衛権を限定的に行使できることを閣議決定。同年10月8日には、日米両政府は「日米防衛協力のための指針見直しに関する中間報告」を発表しました。日本弁護士連合会は平成27(2015)年2月19日、日米防衛協力に対し、「日本国憲法の恒久平和主義及び立憲主義に違反し、国民主権の原理をないがしろにするものであり、行うべきではない」との意見書を関係機関に提出しました。
もう一度強調しますが、「9条は、自衛戦争も放棄するものである」とするのが憲法制定当時の政府見解だったのです。それが、いつの間にやら「自衛戦争は放棄していない」、「自衛隊は合憲だ」、「集団的自衛権の行使はできる」、「外国へ行って戦争ができる」という方向に進み、「自衛隊を国防軍にするため憲法を改正する」という方向に自民党は動き、それにつれて政府見解は大きく変遷したのです。特に、安倍首相は、米国の意向に従順すぎるようです。「米国の言いなり」という感じです。
この動きを阻止できるのは、国民だけです。そのためには、国民の正しい認識が重要です。「9条は、自衛戦争も放棄するものとして創られたものであり、政府見解も当初はそのような考えであった」ということを認識してほしいのです。「9条は、自衛戦争も放棄する」というのが原点なのです。
日本は、9条の下、74年間も戦争をしなかったのです。その結果、日本は戦争で一人の外国人も殺さず、一人の日本人も殺されなかったのです。戦後74年間戦争に明け暮れてきた米国とは、全く異なる安全保障に対するスタンスのとり方をしてきたのです。
(拙著「新・憲法の心 第15巻 戦争の放棄〈その15〉」から一部抜粋 )
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