司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈原発は「受け身的核兵器」〉

 

 私は、現在は「武力に対して武力で防衛することはできない」と考えています。もし北朝鮮でも中国でも、日本を本気で攻撃してきたら、武力を以て防衛することは不可能だと思います。

 

 北朝鮮でも中国でも、その武力は第二次世界大戦当時とは全く違っています。北朝鮮でも中国でも、その兵力を全力で投入してきたら、その武力攻撃に対して日本の武力で対抗しても、大きな犠牲なくして守りきることはできないと思います。その犠牲はどれほどに及ぶのか、想像できません。太平洋戦争では、日本人だけでも310万人が犠牲になったそうてすが、そんなものでは済まないことになりそうです。

 

 今、日本には13道県の17か所に57基の原子力発電所(原発)があります。もし、北朝鮮でも中国でも、この原発をミサイルで攻撃したら、日本はこれを武力で完全に守りきれるでしょうか。ジェット爆撃機で原発を攻撃しても同じだと思います。私は、守りきれないと思います。

 

 戦争状態に入る前に原発にテロ攻撃があったら、防衛できない状況になってしまうと思います。戦争になりそうだという状況になったら、かつて日本が真珠湾を奇襲攻撃したように、相手国が日本の原発を奇襲攻撃するようなことはないなどと、誰が言えるでしょうか。私が相手方の指導者なら、戦争状態になってしまったら、日本の原発への奇襲攻撃を考えると思います。

 

 福島原発か数百キロメートル離れた私の住む岩手県でさえ、原発事故から3年経っても未だ山菜やきのこの放射性物質が含まれているとか、牧草は家畜に食べさせられないとか、魚によっては出荷できないものなどもあるとのことです。娘も息子も、時々東京から孫を連れて帰郷しますが、孫には東北の食品は食べさせないようにしているようです。不安なのです。

 

 仮に、北海道の泊原発、新潟の柏崎刈羽原発、島根県の島根原発、鹿児島県の川内原発にミサイルが撃ち込まれたとします。われわれ日本人は、どこに住めばいいのでしょうか。日本人は、どこに住めばいいのでしょうか。日本人は、住むところがなくなってしまうのです。そうなったら、「武力によって防衛する」などというレベルの問題ではなくなってしまうのです。

 

 そのような日本を、子や孫に残すことはできないのです。今に生きている私たちが、それを阻止しなければならないのです。それは「原発ゼロ」であり、「絶対に戦争はしない」という国際環境を創ることしかないのです。

 

 「武力対武力」ということになれば、第二次世界大戦では日本人だけで310万人、世界では6000万人の人命が奪われました。

 

 多くの原発を国内のあちこちに配置している日本は、戦争になったら、どんな武力を増強し防衛しようとしても、その前に約1億2700万人の日本で生活する全ての人々が生活する場所がなくなる危険性が現実にあるのです。第三次世界大戦となったら、世界中の70億人を超える人々が同じようになりかねないのです。

 

 攻撃する国の核兵器を使わなくても、日本国の中に、敵国から利用されてしまう原発という「受け身的核兵器」があるのです。

 

 

 〈武力で防衛できる時代ではない〉

 

 日本の政治家は、そのことを知ってか知らずか、日本中にそのような原発を造ったのです。防衛できない環境というか、状況を創ったのです。何が、「安全保障のエキスパート」なのでしょうか。「防衛の専門家」なのでしょうか。こんな状況を創っておきながら、「武力による防衛」などと言っているのは、いかがなものでしょうか。

 

 このような状況のなかで、日本は本当に武力で外国から攻め込まれた時に、日本を防衛することができるのでしょうか。私は、できないと思います。私たち国民が気がつかないうちに、そのような状況ができ上がっていたのです。日本は、武力行使や戦争ができない状況となっているのです。

 

 そんな状況を創っておきながら、反省の欠片もなく、「軍事力を強化し、世界平和に積極的に貢献する」などと言っているのは、「受け身的核兵器」が日本全土に配備されている現状から目を逸らすため、問題をすり替えようとしているだけです。

 

 日本にある原発を利用しなくても、中国には核兵器がありますし、北朝鮮も核兵器を開発しています。それを使えば、その被害は広島や長崎の比ではありません。

 

 それに報復しようとして、米国が中国や北朝鮮に核兵器を使用したら、どうなるのでしょうか。放射能は、死の灰は、われわれ日本人の頭上にも降り注ぐのです。この死の灰を、どのようにして武力で防衛するのでしょうか。海と空は、中国や北朝鮮と日本を区別していないのです。中国の黄砂やPM2.5(微小粒子状物質)は、日本にも降り注いでいます。

 

 現代は、武力で防衛するという考え方は捨てなければならないのです。そのような考え方を採らなければならなくなったターニングポイント(転機)は、広島・長崎の被爆です。

 

 広島・長崎の被爆で、武力で防衛することはできない時代に突入したことを痛感した日本は、新憲法で「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を宣言したのです。これこそ、仏教でいう「正見」(しょうけん)です。正しく道理を見ることなのです。法の前に、道理や真理があるのです。それを見なければならないのです。法で道理や真理を曲げることは許されないのです。できないことなのです。

 

 広島・長崎の被爆から73年を経た今日、核兵器の開発は飛躍的に進み、その威力は広島・長崎の比ではありません。今後、核兵器が使われたら、日本だけではなく世界中が壊滅するのです。今や、独り「日本の防衛をどうすべきか」などという次元で、ものを考える時代ではないのです。

 

 「日本を防衛するために軍事力を増強する」とか、「日本を、軍隊を持って戦争ができる国にする」などという考え方は、著しく時代錯誤です。広島・長崎以前の感覚です。あれから73年経過した現在の状況では考えられないものです。いまや、武力で国を守れるという時代ではなくなっているのです。
(拙著「新・憲法の心 第7巻 戦争の放棄(その7)」から一部抜粋)

 
 

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