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 〈闘えなくなって気付いた弁護士の役割〉

 42の厄年から糖尿病、高血圧症で薬物治療を受けるようになったが、それでも手の平からあふれるほどの薬を飲みながら、法廷を駆け回り闘争に明け暮れていた。無理が祟った。62の厄年に慢性腎不全症が悪化し、もう人工透析治療しかないと宣告された。

 人工透析は一週間に3回、一日4時間ベッドに管で繋がれ、全身の血を腎臓の代わりをする人工透析器に流し入れ、体に戻すという治療方法だ。人工透析開始時、最大血圧200位だったものが、終了時には60位まで下がり、自力で歩行ができない状態となることも少なくなかった。

 これでは、もう闘えない喧嘩犬だ。5年後の生存率は50%を切っており、いつ死んでもおかしくはないという状態となった。それでも、事務所は休業することはなかった。いつも10人近くいたスタッフに支えられ、病気を理由に、休業することは一度もなかった。入院中もスタッフと連絡を取りながら、仕事は続けた。

 それのみならず、駄弁本の執筆は、入院中の方が進んだ。ベッドの上で書く時間が多く取れ、「生涯100冊の駄弁本を出す」という目標は、病気のお陰で大きく前進した。しかし、喧嘩犬としては、限界に達していた。

 人工透析治療は週3回だが、慢性腎不全は治る病気ではなく、特に糖尿病と高血圧症が原因で慢性腎不全症となり、人工透析に入った患者の5年生存率は48%というもので、余命5年を覚悟した。ここに至って、喧嘩犬で終わっていいのかという疑問が湧いてきた。

 人工透析治療で当面の死は回避できているが、透析の影響は大きく、法廷に立っても体力も気力もない。話すことさえ、苦しい状況となった。とても闘うというレベルではない。闘えなくなった。

 法廷というリングというか、土俵には登れないと覚悟した。しかし、幸い本は書ける。座ってマイクを使えば、話すこともできる。本を書いたり、講演はできた。喧嘩犬は止めて、広く世のため、人のためになる仕事をしようという思いが自然に湧いてきた。本書きと講演が増え、法廷闘争は減った。収入も減った。地方弁護士の商売面は、厳しいものとなった。

 しかし、「苦難福門」という言葉がある。病気という苦難が、喧嘩犬からの脱皮の入り口となった。そこから地方弁護士は、喧嘩犬から氏神様へ、憲法の番犬に、さらに人生の盲導犬に変身しなければならないという考え方に発展してきた。喧嘩犬として闘えていたら、このような発想にはならず、いまだに喧嘩犬としての毎日を送っていた気がする。

 苦難福門をくぐり、地方弁護士は法律の条文や、判例や、法律論という専門的知識を切り売りしたり、喧嘩犬となって、法廷で闘うだけではなく、番犬となって国民や地方住民の危機を防止し、さらに盲導犬となって、地方住民に人生の曲がり角、段差、障害物の存在を教える役割を果たさなければならないという考えに到達した。

 闘えているうちは、闘いに夢中で気付かなかったが、闘えなくなってそのことに気付いた。病気のお陰ということになる。病気は、「苦難福門」となった。病気になり、長い闘病生活を体験しなかったら、喧嘩犬で終わっていたと思う。


 〈「喧嘩犬」的弁護士生活への疑問〉

 医療に関することについては、世のため人のためにいくらか役に立つことはした、と自負しているが、3年前、日本弁護士連合会から弁護士在職50年の表彰を受けた身としては、本業の弁護士に関しても、いくらかでも世のため人のためになることをやらなければならないという思いが湧いてきている。

 半世紀を超えて、地方弁護士という商売で食べさせてもらい、子を育て、孫まで授かった。地方弁護士に対する思いは少なからずある。恩返しとしても体験を語ったり、書いておくことは、無意味ではあるまい。金色の新しい弁護士バッジを付けた新人弁護士が、金がはがれ、銀色の小生のバッジを見て、「そこまでやることが目標」と言ってくれた。そのような弁護士の役に立てればという思いもある。

 医療に関しても、自分の体験を語ったり、書いたりすることしかできなかったが、弁護士業についても同じで、自分の体験に基づき語ったり、書いたりする他には何もできない。地方弁護士の体験に基づき、「地方弁護士の役割と在り方」について語り書きたい。後に続く、地方で開業する若い弁護士のためにも、地方住民のためにも、いくらかでも役立つ点があったら嬉しい。

 腎臓移植手術を受け、病気になる前の生活に戻った。仕事が好きなのかもしれない。他に何もできないからかもしれない。以前にも増して、弁護士業に熱中している。しかし、以前とは違う思いが湧いている。それにはいろいろあるが、その一つに地方の弁護士は、「喧嘩犬から氏神様にならなければならないのではないか」という思いがある。さらには「盲導犬的役割を果たしたい」という思いが湧いている。

 地方弁護士は、紛争の一方当事者の代理人となって相手方との闘いに勝つという役割を果たせば、依頼した当事者は喜ぶことになるが、敗れた相手方は悔しい思いをする。このような生き方は、本当に世のため、人のためになるのかという思いが湧いてくる。

 地方弁護士は、このままでよいのかという強い疑問を持つに至っている。地方弁護士は、喧嘩犬のままでいいのだろうかという思いが湧いてくる。地方弁護士は喧嘩犬のままでは、どこかおかしいという気がして仕方がない。「これまで自分が地方弁護士として喧嘩犬のようなことをやって来たことは間違いだったのではないか。考え方とやり方を変えなければならないのではないか」という思いが湧いてくる。紛争の一方の代理人となって、他方当事者ないしその代理人と闘争に明け暮れた半世紀の生き方は正しかったのだろうかという疑問が湧いてくる。

 難しい言葉で使えば、これまでの弁護士としての活動には忸怩たるものがある。夢中で:喧嘩犬の役割をやって来たことを今思えと、心の中で深く恥じるようなことだったのではないか、という思いがする。

 (拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』から一部抜粋)


 「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』『第3巻 地方弁護士の心の持ち方――知恵と統合を』(いずれも本体1500円+税)、「福島原発事故と老人の死――損害賠償請求事件記録」(本体1000円+税)、都会の弁護士と田舎弁護士~破天荒弁護士といなべん」(本体2000円+税)、 「田舎弁護士の大衆法律学 新・憲法のこころ第30巻『戦争の放棄(その26) 安全保障問題」(本体500円+税)、「いなべんの哲学」第1~14巻(本体1000円+税、13巻のみ本体500円+税)も発売中!
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