司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 新たな科学技術を取り入れた捜査手法に対して、プライバシーの観点から警告する司法判断が示された。最高裁大法廷は3月15日、裁判所の令状なしで捜査対象者の車にGPS端末を取り付けて行動を把握する「GPS捜査」について、プライバシーを侵害し、令状なしでは行えないと、釘をさす判断を示した。捜査への有効性が先行する運用のあり方に対して、司法側が国民の権利と司法の役割から筋を通す姿勢を示したともいえる。

 

 憲法35条に定めた令状なく「住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利」の対象に、「これらに準ずる私的領域に『侵入』されない権利が含まれる」という新たな解釈を提示。「ブライバシーの侵害を可能とする機器をひそかに所持品に付け、個人の意思に反してその私的領域に侵入するGPS捜査は、憲法が保障する重要な法的利益を侵害する」「強制捜査に当たり、令状なしでは行えない」とした。

 

 そのうえで、令状のもとに行われる場合でも、公正担保の手続きの欠落や令状に様々な条件を付ける必要があることなどの、現実的な問題を挙げ、同捜査には「新たな立法措置が望ましい」という注文もつけた。「GPS捜査」の今後のあり方を決定付ける判決になったととることもできる。

 

 この判断を通して、二つのことを私たちは押さえておくべきように思う。一つは、捜査側が陥りがちな体質的といってもいい姿勢の問題である。この判断は、捜査側にとって、相当なショックを与えるものになっている。新聞紙上にも、「いくつか想定していた中で、一番厳しい内容」「予想を超えている」といった警察・検察側の反応が紹介されている(3月16日付け朝日新聞朝刊)。これは裏を返せば、この捜査手法について、捜査側全体の認識が既に、今回司法が示したプライパシーの観点の重要性や、侵害の危険性といったことへの感性を麻痺させていたことを物語っている。

 

 任意捜査を前提に、運用要領を作り、一定の要件のもとに行われてきた、という捜査当事者側の思いもあったかもしれない。ただ、その一方で、新聞への捜査幹部のコメントとして、「要件は厳しく定めたが、現場では安易に使っていた面もある」(前出朝日新聞)として、正直な見方も紹介されている。科学的な捜査手法の有効性が高いほどに、それを扱う人間がどういう発想に陥り、何が犠牲になっていくのか。今回の「GPS」に限らず、今後も登場するだろう、新たな科学的捜査手法を前にした時、私たちは、まずそのことについて、厳しい監視の目を向けなければならない。

 

 そして、もう一つは、果たして私たち社会の感性は、本当に大丈夫なのか、ということだ。当然かもしれないが、この判決への反応として、早くも捜査側からは今回の判断によって、現在の「GPS捜査」の有効性が損なわれることを危惧する意見が提示されている。可視化を含めて一方では、自白重視含めて自白重視から客観的重視の流れもあり、有効性損失への危惧に一定の根拠を与える面もある。

 

 そもそも有効性という問題の捉え方になれば、そのことによって捜査ができない→犯人が罪を免れる、犯行が加速する、といった話が、当然に捜査側から強調して伝えられる。このときに、自分は捜査には一生ご縁がないと思っている大衆は、捜査手法によって自分のプライバシーが侵害されるリスクと、捜査側から流れてくる有効性損失のリスクのどちらを重くみるだろうか。法律の専門家や識者がいう正論とは、違う大衆の目線も存在し得る。可視化の是非と共通するような、価値の対立が私たちに提示される、といっていい。

 

 ただ、忘れてはいけないのは、この私たちの反応次第ではまた、前記した捜査側の感性の鈍磨はさらに深まり、そして続くということである。この国の捜査の正しいあり方も、私たちのプライバシーもそれにかかっている。それはある意味、どこまで私たちは、捜査権力に対して、厳しく、不信の目を向けられるのかということでもある。彼らの配慮は、時に捜査にとっての有効性に乗り越えられてしまうもの、として――。やはり、究極は、この社会にいる私たちの感性が試されているのである。



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