司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 「月報司法書士」2014年新年号冒頭に、深山卓也・法務省民事局長と斎木賢二・日本司法書士会連合会会長の新春の挨拶が掲載されていた。この挨拶文から、これからの司法書士30年の行方が見えてこなくもない。これについては次回感想を述べることにしよう。

 

 与野党の多数派を占めた安倍自民党総裁は、国家主義を鮮明に表明しそのプロジェクトを実行し始めたようだ。安倍総理が右翼であるとか右寄りであるとか、こうした非難は余り効果的とも思われない。安倍総理周辺の人たちやお気に入りの面々の中にも私は右翼じゃないという人は多いだろう。右翼でも右でもないけど、日本という「国」を何よりも愛す国家主義者と評されれば、その人たちも否定はしないだろう。左翼の中にも共産党員の中にだって国家主義者は実は沢山いるはずだ。

 

 国会の代表質問で安倍総理は「立憲主義とは王様の権力行使を制限するもので今の日本に王様はいない」と答弁していた。総理大臣のこの程度の理解をマスコミ含め国民は嗤うことは出来ないだろう。案外どこが変なのと真顔で聞き返す人だって少なくないに違いない。

 

 普通の欧米人は日本国をタイのような立憲王政の国と見ているが共和国でない以上その見方は誤りではないだろうし、誤りだとすれば日本国のような政体を何と呼べば良いのだろう。平均的国民と日本世論は、先進欧米世界の市民と、人間社会に対する価値観を共有していると思い込んでいる。しかしそれはどうやら大いに誤解であるらしい。そのことを何か折節につけ思い知らされるようになった。

 

 2011年の311大地震から間もなくマル3年となる。しかしこの大地震より私にとってショックだったのは、2008年911のリーマンショック事件だった。生きてきてこの方、基本的に、いや心の底からアメリカという国が疲弊し始めるなどとは到底考えていなかった。それからというもの、何もかもをもう一度見直す必要があるように思えて来て、それから、しばらくすると社会、世界の総てが、これまでとは異なる光のもとに見えるようになってきた。

 

 大体、憲法に無関心のようなこの国のどこに法の支配があるのかとか、アメリカの帝国主義が始まったのは何時の頃からなのだろうかとか、日本を改革するとすれば、まずは明治以来の行政法の大体系を、主権者個人の尊厳に奉仕するものに、根本から変えなければならないとか、しかしそんな事が、日本の投票箱を通して可能だろうかとか。投票箱よりも、高齢化とか少子化とか、女は選ぶし男は選ばれないし、その結果、子供は生まれないとか、そうした物理的現実により、引き起こされて行く進化論的なプロセスの結果に期待するほうが、余程賢いのではないかとか・・・・考えてしまう日々なのである。



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