司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 この不祥事続発の原因は、司法書士の倫理や品位の欠落にあるのではなくて、業界執行部含めた司法書士の人権感覚欠落、憲法知識の欠落にあると私は思う。何故なら、成年後見制度のよって立つところが「現代における人権思想、憲法13条の個人の尊厳、個人の生命、自由及び幸福追求の権利は最大限に尊重されなければならないという原理」なのであるから、その欠落は、当然に成年後見業務の遂行において致命的である。リーガルサポートの入会要件の研修においても、この制度原理である憲法の中核的価値である個人の尊厳と新成年後見法の制度原理をまず第一に教授するべきであるのに、全く教えていないし、財産管理の前提として介護見守りといった事実行為でのサポートが極めて重要であるとその気構えを教えていないのはどうしたことか。

 
 法務省民事局の通説に基づく「介護や見守り、本人の身上保護といった「事実行為」に対する配慮については「これを成年後見人の義務とすることは、私法上の判断能力補完制度である成年後見制度において、社会福祉的事項を成年後見人の職務とすることにより、制度本来の趣旨を逸脱することになりかねない」という有権解釈に従って、もっぱら判断能力欠落者の財産管理業務のみに専念して来たというのであろうか。もしそうであれば、認知症老人の資産横領事件が頻発しても仕方がない。新成年後見制度は、「現代における人権思想、憲法13条の個人の尊厳、個人の生命、自由及び幸福追求の権利は最大限に尊重されなければならないという原理におかれている」ということを再自覚して、これからの成年後見に対する司法書士の取り組みを根本的に変えて行かねばならないだろう。

 
 とすれば、リーガルサポートの会員は当然として、全司法書士に対しても、とりあえずは、他の専門知識は、テイハンか新日本法規の本でも読めばいいのだから、50時間の、連合会会長以下全員参加の特別憲法研修を急ぎ実施するべきであろう。

 
 ただ、問題は、司法書士制度そのものに構造的問題もあって、司法書士の人権感覚欠落を一面的に非難するわけにも行かないのである。資格試験の在り方にも問題はある。しかし、それよりも本質的に重要なのは、昨日までは潜在失業者の司法書士が、苦労して司法書士試験に合格し、司法書士という国家資格者となって仕事をしようとすれば、司法書士会という団体列車に乗せられ、強制会という「いったん乗れば降りる事の出来ない電車」のとらわれの旅人になってしまうということである。降りれば仕事を失う。しかもこの強制会という仕掛けは、法務省、法務局が作ったわけではない。戦前からの一部司法書士の政府への強い要求の結果、やっと昭和31年の司法書士法改正により導入されたのである。会費を効率よく税金以上に徴収出来るという強制会システムは、団体の組織力を強化するため司法書士自身が強力に政府に要求して出来たシステムなのである。目的の本体は価格業務カルテルの維持であった。司法書士の業務適正確保や業務関連知識の修得、情報の収集、配布には必ずしも団体強制という方法は必要ない。不祥事に対しても現行刑法による処罰、民法上の損害賠償という手段で規制は出来る。実際、現在でも医師会は強制加入団体ではない。

 
 この問題につき、平成11年頃、山内元全青司会長は、司法制度審議会の事務局によばれ、担当官に「審議会における主要な論点の一つに司法書士制度があがっている。・・あなたたちは本当に簡裁代理権を必要としているのか・・それを実現することは可能である・・しかし強制入会制度は問題だと思っており廃止したいがそれに応ずることは出来るか」(全青司40周年記念文集 司法書士を慈しむ 127P)と問われたという。

 
 結社の自由に反する例外的な集団では、民主的な自己統治を実現するのは難しい。合意によって形成されている団体ではないし、入社契約があるわけでもない。会員の懲戒権という制裁与奪を握っているのは行政権力である。このような環境では、団体執行部と一般会員との関係は人格の包括的な支配命令関係となりやすく、容易に会員の業務外の人格権、自由権を侵害し拘束しやすくなる。会員総会などは委任状出席ばかりとなり、多数決は形骸化する。行政の懲戒権をもってする間接統治は植民地の宗主国のようであり、執行部は傀儡政権の政府のようなものになりかねない。このような環境では、司法書士の心に人権意識を育てようとしても、余程の自覚的努力をしないと困難だとも言える。

 
弁護士会も強制加入団体であるが、司法書士会とは強制加入の目的も性質も全く異なる。弁護士業務の適正な運用を確保するという公共の福祉の要請から弁護士会への強制加入を正当化するという点では、司法書士会の強制加入目的と重なり合う部分もあるが、弁護士会の場合には、社会正義の実現と人権保障という弁護士の社会的使命を全うするには、国家の介入を極力排除し、自治権を確立する必要があり、そこに司法書士会とは根本的な違いがある。

 
 司法書士制度とは目的規定にあるように、基本的には国民の財産の保全、取引安全と迅速を維持する制度であって、国家の取引秩序の一部をなしてもいる。それで、司法書士制度は私法的取引秩序の監督庁である、法務省民事局、地方法務局局長の懲戒権という統制のもとにあるのだ。旧成年後見制度がそうであったように、新制度導入当初から新成年後見制度は取引の安全の見地からとらえられて来た。福祉的発想はなかった。そこで、制度の立案は、厚生労働省ではなく法務省の民事局があたったのである。

 
 「司法書士は、所管法務局または地方法務局の長の監督を受ける者でありながら昭和31年の改正でその同業団体である司法書士会に加入することが強制された・・・(これについては)憲法の法条(憲法21条1項、22条1項)に対していかなる理由づけをしているのであろうか。往年の監督官庁の便宜のための措置という考え方であれば、その合憲性が検討されねばならないと思料されるのである」(福原忠男「弁護士法」32P 弘文堂)という憲法学者もいる。

 
 司法書士も、まず憲法、民事特に刑事の両訴訟法を勉強して、真の法律家を目指し、自治権を獲得する努力をするべきか、法律問題を放棄して、昔の登記専業司法書士に戻るか、今、その分かれ道に向かっているように思える。



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