我々の泊まったプノンペンのホテル カンボジアーナは、トンレサップ川という、とてつもなく広い川に面していて、その川はメコン川と合流し海に向かっていた。
ホテルには、その川を眺望しながら泳げる快適なプールがある。私は、泳ぎながら、南国の太陽の強い日差しを浴びていた。何人もの白人の旅行者たちも泳いだりプールサイドで寝そべっていたりしている。
見かけた白人旅行者たちの多くは、その会話の言葉からフランス人の様であった。植民地時代の支配者の影を見ているような気がした。恭しきウエイター達の姿がそれを感じさせる。白人に混じって泳ぐ日本人も現地の人たちからみれば同じように見えているだろう。
現地ガイド、レンさんの話では、旅行者で一番多いのは、中国人で、その次が韓国人、3番目が日本人だが前二者と比べればずっと少ないということだった。
白人から見ればこの東洋人三者の違いは分からないかも知れないが、私には直ぐに分かった。中国人の旅行団体は大体まとまっているようだが本当はバラバラで、実にやかましい。韓国人もおしゃべりだが、行進は秩序だっているようだ。
それに比べると日本人は大人しい。アンコールワットでは、農協の団体客を何組も見たがニコニコして皆愛想が良く穏やかだ。中国、韓国に比べれば日本の農民は兼業で金回りがいいのだろう。
外国で見る日本人が金持ちそうに見えたのは、今に始まったことではない。1クローナ76円の時代、持ち出し外貨3000ドル制限の時代、40年前の、スエーデンのストックホルムで、たまに出会ったカメラをぶら下げた日本人も、すでにその当時から背も高く、よれよれのダスターコートを着た東洋のどこかの国の役人らしい人に比べれば余程かっこよかった。まさに西洋人からライジングサンなどとおだてられていた懐かしき時代の事である。
プノンペンでは、司法省を見学し、JAICA事務所を訪ねて、登記制度導入につき、現地でコンサルしている兼高司法書士(美人でかっこいい)と同僚の若い弁護士に会った。
その案内で王立の法科大学に行き、日本法を勉強している学生たちの授業風景を参観する。「明日のカンボジアを支える学生を育てる」ために、名古屋大学が「日本語による日本法教育」を支援しているのだ。学生たちは澄んだきれいな目をしていて、とても上手に日本語を話せるし法律文書を読み書き出来るから驚き感動もした。
名古屋大学から派遣された若い大学教授が指導にあたっている。カンボジアで頑張る兼高司法書士にも驚きだが、この若い教授にも驚きだ。正直言えば、カンボジアだけでなく東南アジアの食事は香辛料が強くて日本人には合わないだろう。そんな国で何年間もがんばっている。
偉い日本人の若者もいる所にはいるものなのだ。