司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈凶器を持つことで相手に生まれる危機感〉

 

 「丸腰」とは、「武器を何も持っていないこと」(角川必携国語辞典)、「武士が腰に刀を帯びていないこと。転じて、武器を身につけていないこと」(広辞苑)です。江戸時代までは、武士は腰に刀を差していました。米国では、今でも銃を持てるとのことです。

 

 刀や銃は護身用にもなりますが、強盗が使う武器にも、やくざの出入(でいり)の武器にもなります。護身用の武器は、人を襲う凶器にもなります。刀や銃などの武器を持たないのが「丸腰」です。

 

 平成25(2013)年10月5日の岩手日日新聞に、「ホワイトハウス近くで、警官の停止を振り切り、車を止めなかった女性が、警官に撃ち殺された。後部座席には幼児が乗っていた」との記事が掲載されていました。他の新聞にも同様の記事がありました。確かテレビで、その場面が放映されていましたので、ご覧になった方も多くおられると思います。

 

 正直、驚きました。幼児と一緒に車に乗っていた母親が警官に撃ち殺されたのです。亡くなった母親は、子どもを残し、どんな思いであったでしょうか。残された子どもの未来は、どうなるのでしょうか。子や孫を持つ身としては、身につまされてしまいました。

 

 「なぜ、子連れの母親を撃ち殺さなければならなかったのだろうか」と考えました。多分、警察官にはその女性が銃を携帯しているのではないかという思いがあり、自分が撃ち殺される前に撃ち殺さなければならないという危機感があったのではないかと思いました。

 

 日本国内では、警官の停止を振り切った女性ドライバーがいたとしても、それが国会前であったとしても、警察官がその女性を撃ち殺すということはないと思います。銃社会の米国の恐ろしさを改めて知らされました。護身用の武器を持つということが、災いしたのです。

 

 日本では、銃を持ち歩いているということは、一般的には想像できません。強盗犯人や暴力団の抗争ならともかく、一般通常人は銃など持ってはいません。ですから、普通の場合、警察官も自分が撃ち殺されるかもしれないという危機感を持つことはありません。ここが大事なところです。

 

 相手が凶器を持っているから、こちらも凶器が必要になるのです。相手が銃を撃つかもしれないと思うから、こちらも銃を構えるのです。相手が銃を持っていなければ、持っていないとの安心感があれば、こちらも銃を構える必要はないのです。撃ち合いにはならないのです。

 

 国と国との間でも同じことが言えると思います。日本に強力な武器があると思えば、北朝鮮も中国も日本の武力を警戒することになります。武力を増強しようとします。「やられる前に、やってしまわなければならない」という危機感が湧いてきます。

 

 兵力の増強に多額な国費を使い、国民に貧困生活を強い、核兵器の開発やミサイルの開発にうつつを抜かすということになってしまいます。軍事力増強合戦となっていきます。「やられる前に、やらなければ」という思いが湧いてきます。先制攻撃や奇襲攻撃を考えるようになります。

 

 北朝鮮や中国がそうすれば、米国や韓国もそれに対抗して武力の増強を図ります。米国や韓国だけでは足りなくなり、日本にも武力の増強や集団的自衛権の行使を求めるようになります。

 

 今の国際状況で、米国と日本の関係はそのような状況の中にあると思います。そのような状況の中だから、第二次安倍政権は誕生したのではないかとい気がします。安倍政権は米国からの兵力の増強、集団的自衛権の行使などを求められ、それに応えようと、四苦八苦してきたというのが本当のところではないでしょうか。日本の首相は、米国に迎合しないで、つまり米国に気に入られようなどと考えないで、命を懸けて、日本国憲法の心に従って政治の舵を取ってほしいのです。

 

 「米国と喧嘩せよ」と言っているのではありません。「協力すべきところはしても、譲れないところは断固守るべきだ」と言いたいのです。憲法を守らなければ、独立国ではありません。憲法を守ることは、国として、政権担当者として、国民に対する義務です。憲法99条の「憲法尊重擁護の義務」を持ち出すまでもないことです。

 

 

 〈丸腰の防衛がベスト〉

 

 日本が「戦争をしない」、「武力を持たない」という丸腰の状態でいた場合に、北朝鮮や中国は日本を攻撃するでしょうか。私は、攻撃する理由は見つからないのではないかと思います。北朝鮮だって中国だって、戦争をしない日本に対し、武力のない日本に対し、武力攻撃を仕掛ける理由は見つけられないと思います。日本の原発を攻撃しようと考えるのは、「日本と戦争になりそうだ」という状況になった時だと思います。そうでない限り、いくら北朝鮮でも、日本の原発をいきなり攻撃しないと思います。

 

 戦争は、ほとんどの場合は自衛のため、つまり自国を他国の攻撃から防衛するためであることを理由としています。ですから、武力を持たない、戦争をしない日本に対し、自衛戦争は成り立ちません。日本を攻める口実はないのです。

 

 戦力がなく、戦うつもりがない国に対し、武力攻撃をしたとすれば、国際社会は黙って見逃すことはないと思います。国際社会も、「二国間の戦争だ」などと思うことはないと思います。これは、明らかに「一方的な侵略」だと認識します。戦争状態になっていないのに、北朝鮮が日本の原発を爆撃したら、国際社会は黙っていないはずです。

 

 国際社会は、このような一方的な武力行使を許すことはないと思います。直ちに、集団的安全保障に基づく措置がとられるものと思います。

 

 これに反し、日本に武力があり、日本がその武力を行使して戦争に及んでは、二国間の戦争であり、どちらが悪いかは計りかねます。そうなると、国際社会も「日本を救わなければならない」と、立ち上がりにくくなってしまいます。日本救済に反対する国も出てきます。「喧嘩両成敗」ということになってしまいそうです。

 

 のみならず、戦争状態になったら、国際社会が動く前に再起不能のダメージを受けてしまいます。日本に50基ある原発が先制攻撃されたら、防衛どころではなくなってしまいます。奇襲攻撃を受けたら、回復困難な状況となってしまいます。

 

 武力を持たず、戦争をしないという日本の姿こそ、日本を守る唯一の方法だと私は信じています。戦わないことが、最高の防衛方法だと思います。戦えば、どちらも傷つくのです。「丸腰の防衛がベスト」だと思います。「日本には武器はなく、日本は武力攻撃も戦争もしない国だ」ということを世界に知ってもらうことこそ、最も有効な防衛方法だと確信しています。

 

 安倍政権は、「積極的平和主義」などと理解しがたい言葉を用い、「武力を強化し、武力を以て世界の平和に貢献する」などという、訳の分からない主張を繰り返してきました。「軍事力で平和を創る」という考え方は、間違っています。軍事力は、戦争のためにあるものです。それが素朴な考え方です。

 

 戦争の道具で平和を創るというのは、恫喝です。相手を脅しつけることです。平和とは、戦争や社会的混乱などがなく、社会の秩序が和やかで穏やかに保たれていることです。戦力で脅しつけるやり方は、平和と真逆です。

 

 安倍政権やその御用学者は、防衛の必要性を強調し、防衛力の強化、即ち軍事力の増強を主張していますが、「戦争の放棄」こそ本当の平和主義であり、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」こそ最善の防衛方法です。

 

 こんなことは、戦後間もない頃の日本人なら誰でも分かっていました。現在の日本人も、多くの人はそのことをよく理解しています。それにもかかわらず、安倍政権とその御用学者は、特異(得意)な屁理屈を並べ、「軍事力で防衛する」とか、「軍事力で積極的平和主義に貢献する」などと言っているのです。

 

 軍事力は、戦争をする道具です。軍事力を持てば、互いにそれを使って戦争をすることになります。軍事力では真の防衛はできません。「防衛は丸腰がベスト」です。
 (拙著「新・憲法の心 第7巻 戦争の放棄(その7)」から一部抜粋)

 

 

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