司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈死刑の実態に関する情報〉

 

 死刑の実態はプロの裁判官ですら知らないと社説は述べるが、その実態を記述する文献は存するのであり、法務省からの情報公開を待たなければ闇の中ででもあるかのような記述は間違いである。

 

 例えば、「責任という虚構」(小酒井敏晶、東京大学出版会)には、村野薫「死刑はこうして執行される」(講談社文庫)、坂本敏夫「元刑務官が明かす死刑のすべて」(文春文庫)、大塚公子「死刑執行人の苦悩」(角川文庫)等を引用し、実に生々しい光景が記述されている(p75以下)。

 

 一般市民が死刑制度について真剣に考えることは絶対に必要なことだが、裁判員にならなければ真剣に向き合えないなどということはない。

 

 

 〈「求めているのは国民」?〉

 

 社説の「死刑を決めているのは国民」という表現は、「国民が裁判員として死刑求刑事件について判決を下すという仕組みから逃れるべきではない」との主張の一つの重要な理由として述べられているものであろう。

 

 国民が主権者であり、国家権力の根源として存在していることは、民主国家として当然のことである。しかし、我が国を含め代議制民主主義国家では、国家権力の行使として刑罰内容を定め、死刑制度を存知させているのは国民が選出した代表者であって、さも国民一人一人が刑罰のあり方を決めているかのような、且つ、その自分が決めたことについては最後まで責任を負わなければならないともとれる記述は正当ではない。

 

国民はむしろ、代表者が定めた法制度について、それを批判し廃止を働きかけることもできる立場のものであり、国民が主権者だというのは、国民は政治を批判し、代表者を通して変更し得る根源的力を有する集団の一員だということである。

 

 人を裁くという経験を通じ、死刑と向き合い是非を考える、裁判員制度をそうした機会にしていくことが大切だとの記述は、裁判員制度について国民の意識改革の場だと本音を述べていた司法制度改革推進本部故山崎潮事務局長の発言に重なる。権力が国民の心の中に手を突っ込んでその意識改革をし強制教育策をとることに、この新聞は賛成し推奨さえしているということである。

 

 

 〈死刑事件に関与する裁判員の苦悩〉

 

 この社説を掲載した朝日新聞は今年4月22日、「『死刑は殺人』元裁判員苦悩」と題する記事を載せた。同紙は、先に死刑事件に裁判員として関わり急性ストレス障害になった福島県郡山市の女性からの国家賠償請求事件のことを知らない筈がない。裁判員が死刑事件に関与した場合に、日常では想像もできないような苦悩を味わうであろうことは、仮にこれらの事実を知らなくても、容易に推察がつくことである。

 

 現に同社説は、「人を死に追いやる」「精神的につらい」という言葉を語った担当裁判員の言葉を紹介し、これについて「心のケアをさらに充実させる取り組みが欠かせない」と結んでいる。苦しむだけ苦しみなさい、精神状態がおかしくなっても仕方がない、そのときは面倒みてあげますよと言い、国家はその備えさえしておけばよいと、この社説は平然と述べているということである。

 

 心に外傷を負った人の苦痛の治療は心のケアなどと言って簡単に対処し得るものでなく、ときには自殺という取り返しのつかない事態に追い込まれることさえあるということは、多少でも心的外傷の経験をし、或いはそれに関する知識があれば分かることであろう。あまりにも無責任な表現である。

 

 それでも裁判員として死刑と向き合いその是非を考えなさいというその感覚は、日頃人権尊重を説く社会の木鐸の言葉としては容易に信じ難い言葉である。



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