〈この国の批判なき風潮の危さ〉
このような表現の違いはどこから出るのだろうかということが、私がこの両者の意見を取り上げたきっかけである。私は三谷氏とほぼ同年代である。そのためであろうか、三谷氏が「戦中の教育の風景が再現される可能性が出てきたようで大変驚いています。戦後70年がまるでなかったかのような気がします」との言葉は、私には極めて切実な言葉としてしっくり来る。それは、直接戦地に赴くことはなかったけれども、生まれ育った我が家が空襲で一夜のうちに灰燼に帰し、幼少期を苦難の中に過ごした私と同じような経験を持つ者だからこそ抱く率直な感想として語られているからではないかと思う。
先崎氏の指摘は恐らく真実であろう。「確固とした価値観がなく、誰もが不安だから何かいい処方箋がないかと探している。左右を問わず断定的な言葉、載りやすい価値観が出てくれば一気にそちらに行ってしまう可能性があります」ということは適切な指摘だと私も思う。ただ、先崎氏は戦争を自ら体験したことはないであろう。それだからこそ高い所から問題の本質を指摘できるのであろうが、ある意味それだけ冷めた感じがする。
学者はそうであらねばならないのかも知れない。しかし、国家にある種の危機を感ずるのであれば、「底が抜けた時代」は何故にできたのか、それに対し教育勅語を取り巻く現下の情勢の下で、今、我々は如何様に対峙すべきなのかということについての指摘や提案があっても良さそうだがとは思った。要するに、その両者の感ずる危険性にはかなりの温度差があるのではないか、切実さ、緊迫感が違うのではないかということである。
近ごろは裁判員制度について、政治家、学者、一般市民も含めて問題意識をもって取り上げられることは殆どなくなった。マスコミの取り上げるのは、原審裁判員裁判の判決が控訴審で破棄されたという類いのものが殆どである。我が国の国民性としての忘れっぽさによるものなのか、政治が一強多弱状態にあって、何を取り上げても社会に変革をもたらすことはできないとの諦観に達し無気力状態になっているからなのであろうか。
しかし、戦中育ちの私には、裁判員制度に見られるように、国民をその思想・信条を顧慮することなく罰則をちらつかせて裁判員にさせるなどということは、戦前・戦中の徴兵徴用の恐ろしさ、何もものが言えない時代の怖さが身に着いているからであろうか、何としても受け入れられないのである。
裁判員制度が日本国憲法の容認しえないものであること、容認し得るものだという大法廷判決のいかさまぶりについては、これまで私ばかりではなく多くの人々が指摘して来た。その指摘は絶対に正しいことだと私は考えている。しかし、私にとっては、理論より先に、この肌がこのような制度に対し拒絶反応を起こしてしまう。裁判員制度は国民の人権を侵害するものであるばかりではなく司法制度そのものに危機を呼び込むであろう、それ故に国家を危殆に瀕させるであろうと感じ、構えてしまうのである。
それは、教育勅語問題についての現政権の驚くほど甘い対応同様、私には、裁判員制度を、マスコミを含め、容認することばかりではなく何ら批判の声を発しない風潮にこの国の大きな危険を見る。それは、北朝鮮から飛んでくるかも知れないミサイルより現実的で恐ろしい。
勿論、詳細な説得力ある理論も重要でありそれに耳を傾ける態度を人々が持ち続けなければならないことは明らかである。しかし私たちは社会の問題に生起する危険性とその強度を敏感に感じ取る感性を、過去の歴史がもたらした悲劇に想像力を働かせることによって磨いていかなければならないのではあるまいか。