司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 〈思想改造・脅し・強制〉

 今回、裁判所の改革の目玉として、いわゆる司法への国民参加が叫ばれ、一応、裁判員制度として法律化され、施行されている。しかし、それはこれら現状の裁判所の抱える根本の問題には目を向けないで、単に欧米先進国では常識らしく見える陪参審制の真似事を、司法への国民参加という目眩ましを使って思い付きで導入したものとしか考えられない。

 裁判員法1条は、「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続きに関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」と定めている。そこには、刑事訴訟法1条が定める「事案の真相を明らかにしつつ刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すること」という目的に資するとは定めていない。

 裁判員として国民が参加すれば、兎角国民とは縁遠い刑事裁判が分かり易いものとなり、また国民に刑事裁判がどういうものかを分かって貰い、それにより、もっとその裁判が信頼できるようになるという仮説を立てて一種の国民教育、意識改革、より正しく言えば思想改造をしようとするものである。それ自体、思想信条の自由に対する重大な侵害行為である。

 また、法律の内容を見れば、国民に対する、この制度への参加強制など罰則による脅しの羅列である。死刑とか無期刑という重大な刑罰の選択をせまる場面への参加を強制されるということである。裁判所の理解と信頼の向上のためというお題目のために、一体国民はそのような判断の場に強制的に引っ張り出されなければならない合理性があるのであろうか。

 未だその説明は十分にというより、全くと言っても良いほどなされていないし、日弁連もその点には、どういうわけか触れようとしない。

 〈徴兵制と異ならない〉

 裁判員法66条には、「裁判員は前項の判断(法令、訴訟手続きに関する判断)が示された場合にはこれに従って職務を行わなければならない」と定めているから、裁判員が死刑は憲法違反だと判断しても、裁判官が憲法違反ではないと言えば、それに基づいていわば良心に背いて判断しなければならないという場合も出てくる。

 そのような場合には、量刑において死刑の選択に反対すれば済むという考え方もあろう。しかし、多数決で、しかも評議の秘密により自分の判断が外部に明らかにできないときには、その結論について終生呵責を覚えることになりかねない。

 いずれにしても、私は、この裁判員への国民の参加強制は憲法18条に違反するものであり、嘗ての徴兵制と基本的に異ならないし、憲法13条にも違反することも明らかだと考えている。

 不本意に公務に就かせられるという点では、憲法22条にも違反すると思う。最高裁判所の発行するパンフレットには、裁判員は「非常勤の裁判所職員であり」と記載している。国家公務員法第2条第2項は、裁判所職員は特別職の国家公務員であると定める。日本国民は、何時から国家公務員になる義務を負ったのであろうか。

 また、裁判員となることを嫌がる市民を裁判官に据えて、一体神聖な裁判ができるのであろうか。仮に裁判員を経験して見たいという物好きだけが裁判に参加したら、どうなるであろうか。裁判はショー化してしまう危険があり、それもまた問題である。



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