司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

■織田信夫
裁判員制度反対派の論客である弁護士である筆者が、裁判員を強制する制度の問題を中心に鋭く斬り込みます。
1933年11月18日生まれ。1970年弁護士登録(仙台弁護士会)。1988年仙台弁護士会会長、1989年日弁連副会長、1999年東北弁護士会連合会会長などを歴任。
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 〈「利用されなくなる」脅威〉

 国会の審議においては、裁判員法案に、被告人に制度選択権を与えない趣旨の明文の規定が置かれていないことにもよるのであろうか、殆ど議論された形跡はみられない。僅かに、2004年4月7日の衆議院法務委員会の与謝野馨委員と山崎潮政府参考人(元司法制度改革推進本部事務局長)との応答がみられるだけである。しかし、その僅かな応答は、この裁判員制度導入についての国側の本音を垣間見ることのできる貴重なやり取りと考えられるものである。

 与謝野委員は、まず、憲法上保障されている被告人の公正な裁判を受ける権利というのは専門裁判官を前提にしていると想像される、「私が裁判を受ける場面に陥った場合は、私自身はやはり専門裁判官だけで裁判をしていただきたい。なぜ被告人は選択権を持たないのか」と質問したのに対し、山崎参考人は、まず前掲の司法審意見書の「国民一般にとってあるいは裁判制度として・・・」の表現を引用し、陪審・参審の例を挙げて説明している。

 与謝野委員はさらに、「戦前の陪審制度というのは、多分、被告の方の選択権を認めていたんではないかと思いますが、うがった見方をすると、被告の方に専門裁判官だけの裁判あるいは裁判員制度による裁判という選択権を与えると、みんな専門裁判官の方の裁判を選択して、裁判員制度自体が成り立たなくなる、戦前の陪審制度もだんだんみんなが使わなくなっちゃった、そういうことを危惧してこういう制度を採用されたのか。・・・本質的な問題として選択権というものはないということの方が正しいとお考えになったのか」と質問した。

 これに対し山崎参考人は、「ただいま御指摘の点につきましては、やはり辞退の権利を与えるということになりますと、利用されなくなる、そういう心配も片やあったと思います。したがいまして、今回導入する制度につきましては、陪審の形態ではなく参審の形態をとっている、これは日本の国情に合うだろうということでございまして、考え方として、やはりプロの裁判官も入って判断しているので、そこで被告人の権利として辞退を認めるということにすべきではない。それからまた、仮にした場合には、戦前と同じような失敗を繰り返す可能性もある。両方の理由があったんだろうというふうに私は思っております。」と答弁している。

 その答弁には、国情に合うとはどういうことなのか、プロの裁判官が入ればなぜ被告人は辞退が認められないかの説明はなく、曖昧な点はあるが、実に率直に制度の本質やその成案に至る内幕を吐露している。

 〈「被告人の利益」をめぐる議論〉

 その他の意見としては、裁判員制度をめぐる座談会において佐藤文哉氏が、「裁判員が加わっても憲法上の裁判所になるとは思うのですが、6人ということになると実質的にみたときに、果たして憲法の予定しているところの裁判を被告人に保障しているか」「被告人が不安を抱いても「制度の問題なのだから」と選択の余地を認めなくていいのかという疑問がある」と述べ、井上正仁氏、大川真郎氏、田口守一氏との間で若干議論になっている(ジュリスト2004年6月1日1268号p44以下)。

 ○ 髙橋和之教授は、司法制度改革審議会中間報告をめぐる座談会で「憲法問題をクリアーするためにはいくつかのポイントがありますが、一つは被告に選択権を与えたらどうかということが考えられます。参審制を入れるけれど、それは被告人が選べますよということであれば、本人が選ぶわけですから、憲法上の裁判を受ける権利という点からは一応説明はつきます。・・・参審制の場合に選択制を入れると理論的に、あるいは実態的に何か不都合はあるのでしょうか。選択制も可能ならば、それは一つの考慮要素になりうるように思います」と述べている(ジュリスト2001年4月10日1198号p62)。

 ○ 雑誌「世界」は2008年6月、7月号において「裁判員制是か非か」と題して賛否両者の討論内容を掲載した。その6月号の中で「被告人の辞退を認めるべきか」の論点について賛否両者は激しくやり合っている。

 司法審の意見書中、裁判員制度が「被告人のためというよりは」と表現していることに関連し、松尾邦弘氏が「刑事手続が被告人のためじゃなかったら憲法違反ですよ」、高山俊吉氏はそれに対し「なぜ『被告人のためというよりは』という表現になったのか」と問い、松尾氏は「被告人の利益という視点はそもそも刑事裁判制度の前提におかれている」と答え、高山氏は「それならば被告人の辞退を認めるべきだと思います」、西野喜一氏は「被告人の辞退を認めないことは被告人の利害を二の次にしている」と述べ、これに対し佐藤博史氏は「論理的にそうならないと思います。

 戦前の陪審制が被告人の辞退を認める制度だったことも制度衰退の理由だったわけですし、重大事件について裁判官制と裁判員制という二つのメニューが在りえるのか」、高山氏「アメリカでは選択できます」、佐藤氏「違います。正確に言うと、アメリカでも検察官も同意しないと裁判官裁判にならない。」、高山氏「二つの道があるのはおかしいというから二つの道があると言った」との応答が見られる。

 以上の選択権に関する論説や議論は、憲法上の問題が数多く指摘されている裁判員制度(西野教授は「違憲のデパート」と表現した。)について、その問題を現実化させない一方便として主張され、或いは立法政策の一選択肢として妥当なものか否かが論じられているものであって、選択権そのものについては憲法問題が独立して論じられることはなかったと思われる。

 そこに現れたのが前掲最高裁2012年1月13日第二小法廷判決(以下「二小判決」という)である。



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