法曹実務家の間では、司法改革以前に比べ、新人法曹、特に新人弁護士の質が少なからず低下したということは、ほぼ共通の認識になっていると思われる。
ところが、大手マスコミの論調を見ると、どうもこの点に関しては、切迫した危機感を抱いているように見えない。弁護士の懲戒が増えていたり、司法試験の合格率が下がり続けていたり、二回試験の不合格者が続出したりと、質の低下が数字で見える指標もあるにはあるが、マスコミ関係者も含め、国民の多くは、弁護士の質が下がっているという事実を、肌身で感じる機会は少ないのだろう。このことが、今ひとつ、弁護士業のダウングレードが、社会に実感として受け止められにくい要素となっているのではないか。
もちろん、私自身は、人様のことをとやかく言えるほどの高尚なスキルを持っているわけではないが、それでも、日常の業務の中で、相手弁護士の対応に強い違和感を抱く経験が増えてきているように思えてならない。
数年前、私は、ある損害賠償事件の被告側代理人になったことがある。詳細を書くわけにはいかないが、原告は被告会社の元従業員で、以前の勤務先に対し、安全配慮義務違反による損害賠償請求を求めていた。
最初の法律相談で、被告代表者から訴状を見せてもらったとき、何とも奇妙な気分に襲われた。訴状は大変なボリュームで、数十ページにわたるものだったが、一読しても、争点が頭に入ってこない。何でこんなに分からないんだろうと思って読み返してみると、要するに、安全配慮義務違反の判例を多数引用してはいるのだが、肝心の具体的な事実が、全くといっていいほど、書かれていなかったのだ。
困ったことに、その後、この手の訴状に多くお目にかかるようになった。
判例評釈や法令解釈にかまけて、事実が疎かになってはならない。このことは、実務家のイロハとして、かつて、研修所で、何度も頭に叩き込まれた、いわば法曹の共通言語の土台部分だ。
教官がたびたびそんなことを口にしなければならなかったということは、逆に、それほど、誰もが犯しやすいミスなのだろうが、それでも、以前は、二年間の修習の中で、大半の修習生が、ひととおり、事実の抽出と当てはめという基本的な技量を身につけて、皆、実務に出ていったのだ。
評論のような訴状が目につくという現状は、法曹の養成段階で、実に重大な危機が進行しつつあることを示唆している。
先の事件は、何度も求釈明をして、とにかく事実を明らかにしてくれないと、争いにならないと迫ったのだが、そのたびに、膨大な判例が引用されて出てくるばかりで、被告会社がどういう注意義務を負っていたのか、それにどう違反して、どういう損害が発生したのか、はっきりしない、非常に苛立たしい状況が延々と続いたあげく、原告側がごく微々たる金額の和解を申し出てきて、実質的に、被告側の完勝で終わってしまった。
和解に先立って、個別に話をした際、裁判官から、「先生が原告の代理人だったら、たぶんこういう結果にはならなかったんでしょうけど。」と言われたのが、今でも印象に残っている。
実際、この事件は、恐らく、きちんとした主張・立証をしていけば、原告側が勝訴する可能性も十分にあった事件だったと思う。率直に言って、弁護士の力量不足が、原告の実質的敗訴を招いてしまったと言わざるを得ないのだが、恐らく、依頼をした原告ご自身は、そのことに気づいていないだろう。
弁護士の質の低下は、こういうところで、国民生活に影響していく。そして、それは、当事者にもなかなか気づかれることなく、報道の対象にもなりにくい。実務家だけが、肌身で感じ、気を揉むしかないのが現状なのだ。