〈対象の明確化と視点・基準の問題〉
2009年5月21日施行の裁判員法は今年の5月で施行10年目を迎えるということで新聞各紙が関連記事を掲載し、テレビもニュース番組で取り上げていた。
私の地元の河北新報も2月末から「検証裁判員制度10年」と題する記事を随時掲載し、重ねて4月から「裁判員裁判東北の10年」の見出しの記事をかなり精力的に連載した。
朝日新聞は4月14日に「裁判員10年」のコラムに「1番さんと7番さん 51日間の先に」という題の記事を載せ、末尾で、裁判員経験者等裁判員裁判に何らかの形で関わった人の体験や意見の募集を呼び掛け、その後も「裁判員10年」の見出しで記事を連載した。いずれも社説でも取り上げていた。
国家の制度を不断に検証することは大切なことではあるけれども、問題は、検証の目的と対象を明確にし、検証で得られた事実を如何なる視点から明確な評価基準をもってどう評価するかということが必要である。
〈修正点の指摘にとどまった報道内容〉
メディアのいずれの報道内容も、制度自体を批判する視点はなく、どちらかと言えば制度の存続に向けての制度修正点の指摘に止まる。制度施行3年後の検討事項も同様であり(拙著「裁判員制度はなぜ続く」p166)、それによってなされた法改正も特に改正を要する事項ではなかった。
私は、裁判員制度そのものが憲法に違反するだけではなく、裁判の本質に照らして存続させてはならないという立場なので、制度制定の経緯が如何なるものであり、立法化の目的が如何なるものであるかにかかわらず、検証以前の問題として即刻廃止されるべきだと考えるものであるから、これらマスコミの制度運用に関する検証結果がいかなるものであるかには余り重大性を見出せないけれども、「検証」のあるべき姿から見たこの制度の「検証」をどう評価すべきかについて考えてみたい。