ついに結果を出せない法科大学院に対して、強制閉校を命じるという方向が出てきた。5月28日に法曹養成制度顧問会議に対して、政府の法曹養成制度改革推進室が示した「取りまとめ」案にそうした内容が含まれているという趣旨の報道が流れている。同案自体は現在非公開扱いで、一部報道だけが先行している格好だが、同日、示された案の内容をめぐり、顧問会議での意見が分かれた観測も一部に流れている。ただ、「改革」路線が、強制閉校命令を視野に入れる方向自体は濃厚だ。
なぜ、ここまでの措置が俎上に上がっているかといえば、それは取りも直さず、低迷校の退場促進が目的というこたえになるだろう。既に1月、文部科学省は募集継続中の52校に配分する補助金について、司法試験の合格実績や教育プログラムの内容で、現行比で135~50%と差をつける増減比率を公表。42校が補助金削減対象となり、うち7校について半額することを決めている。
そのうえに打ち出す方向の「強制閉校」命令は、大学側の自主性に期待して来た「退場」判断を待たないという意思表示である。自主性の否定ということももちろんできるが、補助金圧力では「手ぬるい」という判断から、より「自主退場」を促しているという見方はできる。命令されての「閉校」が、大学に与えるイメージダウンを考えれば、自ら決断する方がいいのではないか、と迫っている形にもとれる。まさにあの手、この手という感じだ。
政府側の焦りが感じ取れる。既に公表されている法曹人口に関する「取りまとめ」案では、志望者減によって司法試験の合格者が1500人を割る事態への強い危機感が示されている(「法曹人口の在り方について(検討結果取りまとめ案)」 「司法試験合格『1500人』政府案から見えるもの」)。
「強制閉校」の可能性を示し、さらに場合によっては現実にそれを繰り出してまで「退場」を加速させたい理由も、実はここにつながっているという見方が出ている。実績の上がらない法科大学院が存続は、制度全体の合格率の足を引っ張るというだけでなく、受からないところが存在していること自体が志望者数回復にマイナスという判断だ。
現状、こうした方向はやむを得ないとらえ方はされるかもしれない。法科大学院制度自体の存続からすれば、いまや淘汰は規定方針化している。しかし、いったんそこから目を離して、「改革」の責任ということを考えれば、ひっかかるものはある。
司法試験合格率が存続のための実績として判断される一方で、制度が受験指導を抑え込んできたという矛盾する現実がある。単に法曹として能力だけではなく、人間性・社会性な豊かな人材を育てるという、さかんに言われた制度の理想はどうなったという思いは、少なからず関係者のなかにはある。強制閉校の方向を報じた5月29日の朝日新聞朝刊の記事にも、「合格率だけで判断しないてほしい」という法科大学院関係者の叫びが紹介されている。矛盾とともに、制度が梯子をはずしにかかっているような面は否めない。
また、根本的なことをいえば、そもそも制度立ち上げ時に、法科大学院への参入規制をしなかった責任は、「改革」路線にある。想定外の数の参入が繰り返しいわれるが、当時、「改革」を急ぐあまり、規制論議の手間を省いてしまったとの見方もある。自由に手を上げろと言って、最後は自主的な決断まで待たずに退場を迫る形になることに、何も問われるべきものはないのだろうか。
要は制度存続を第一に考え、「改革」路線の責任は問わないという前提だから繰り出せるものとはいえまいか。
法科大学院「淘汰」の先がどうなるのか。法曹界のなかには、旧帝大系と司法試験合格実績のある一部私立を加えた20数校が最終的に残るシナリオを指摘する見方が、実は以前から存在する。1500人合格ラインの死守の先にも、そのくらいの校数がなんとか持ちこたえるだろう、というヨミである。
しかし、この淘汰によって、今、関係者を焦らせ、また強行手段に踏み切らせる動機付けにもなっている志望者減に歯止めがかかるという見方はほとんど聞かれない。弁護士が増え続ける以上、その経済状態もまた回復せず、その回復がない限り、いくら数字上の法科大学院修了者の司法試験合格率が上がったとしても、志望者は戻ってこないという見方が強いからだ。法曹人口に関する前記「取りまとめ」案が、早々に「需要はある」として増員基調の維持の必要を言い切っているのを合せると、その点での明るい展望は描きにくい。
しかも、法科大学院入学者が2000人を切る事態も見えはじめ、競争倍率がどんどん下がるだけでなく、いまや司法試験の「全入時代」までが現実味を帯びて語られるに至っている。もはや選抜試験とはいえず、いよいよ「質確保」への危機を唱える声も出始めている。
「法科大学院 サバイバル」。「強制閉校」方針に関する「朝日」前記記事の見出しには、こんな文字がおどっている。果たしてこれが法科大学院のサバイバルだけを意味するもので終わるのか、そのことが問われているように思えてならない。