司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>



 

 トランプ大統領の登場によって、おおきく状況が変わってきたウクライナ戦争。メディアは連日、ロシアに接近し、停戦に動き出している米国に注目し、大きく報じている。現時点では、今後、どう展開していくのかは、予断を許さない状況である。

 だが、日本のメディアの扱いは、現在のところ、一辺倒であるといっていい。一言でいえば、トランプ大統領の先が読めない動きへの懸念と、侵攻された当事国であるウクライナ抜きでの停戦交渉への批判的論調である。そして、ここには、ある意味、当然のごとく、社説や識者の声を介して、停戦のあり方そのものへの懸念が被せられている。

 つまり、この戦争で侵略したのはロシアであり、ウクライナは被害国である。占領地併合を含めて、結果的にロシアの意向に沿う、目的が達成される形での終結は、国際秩序を壊し、未来に禍根を残すので、絶対に認められてはならない――という論調である。

 いうまでもなく、今回の戦争でロシアは侵略国であり、そのことは今後も批判されるべきことには変わりない。しかし、それでもこのメディアの論調は、こと「戦争」に対するわが国のスタンスとして、誤解を与えるメッセージになりかねないものであることを指摘しなければならない。

 それは、これまでのこの戦争に対する日本のスタンスや世論状況についても指摘してきたことであるが、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」すること(憲法9条1項)を国是としているはずの、わが国の立場との関係である。戦争開始からわが国にも突き付けられたウクライナ支援で、領土奪還を戦争によって実現しようとしている国に、それが達成されるまで寄り添うというのは、わが国としては、少なくとも前記スタンスについての何の注釈なしに、他の諸国と肩を並べて臨むことはできないはず、ということである。

 戦争を手段としないことを国是としているわが国には、たとえそれが腕づくで奪われた領土であっても、それを腕づくで取り返すという論理は存在し得ない。当然、このウクライナ側の奪還戦争の継続を支援している国と、注釈なしに歩調を合わせれば、前記9条の立場は埋没してみえておかしくない。さらにその立場からすれば、ロシアの不当性は認めても、わが国の立場からすれば、推奨すべきは「即時停戦」しかない。「止めてはならない」戦争という価値観そのものを許していないはずなのである。(「『止めてはならない戦争』という価値観」 「ウクライナ支援と憲法9条の立場」)

  開戦以来、そのことを政府も大メディアも、言及せず、またぼかし続けてきた。戦争を即時終結し、これ以上、兵士・民間人の犠牲を出さない状況を担保したうえで、たとえ一旦領土を奪われても、停戦のための諸外国の非軍事的介入と、国際世論によって、紛争の原因や侵攻の不当性が問われるべきだったはずなのである。

 侵攻した国も、侵攻された国も、国家による強制的な国民の動員と、回避しきれない民間人の犠牲が伴っている。国家によって、国民の犠牲までも正当化する、戦争の論理そのものを、問題視すべきだ。

 戦争終結が取り沙汰され始めたことに伴い、ウクライナのゼレンスキー大統領も停戦を希望する姿勢を示し、このまま問題を終わらせず、再侵攻を防ぐ安全保障の必要性などに言及している。ウクライナ軍兵士4万3000人超、同国民間人1万2000人超、ロシア軍兵士9万5000人超。もはや取り返しがつかない、これだけの人間の命を犠牲にしなければ、本当にここにたどりつけなかったのか。たどりつくために、どうしても避けられなかった犠牲といえるのか――。

 ロシアの意向をくむような戦争の終結は、「国際秩序を壊し、未来に禍根を残す」という論理の前に、この日本においてすら、命という取り返しのつかない犠牲が不可避である戦争の無意味性が、水平的に問われていないようにとれる現実があることに強い違和感を覚える。



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