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 日中関係の悪化につながった、台湾有事をめぐる「高市発言」問題は、いまだ沈静化の兆しをみせていない。台湾有事が「存立危機事態」に「該当し得る」と明言することで、わが国の安全保障にかかわるという強いメッセージを発信したものであると同時に、自衛隊の出動もあり得るという防衛上の意志を伝えるものとなった。

 しかし、これは米国と歴代の日本の政権が、あえてとってきたこの問題に対する「曖昧戦略」(戦略的曖昧さ)を、ほぼ確信的に踏み越えているととれる行為である。台湾問題の根源は内戦の結果であり、そこには少なくとも中国側からすれば、他国のこの問題に関する言及が内政干渉ととれる現実は存在する。ただ、日本の場合、日本のシーレーンの至近距離に位置し、国土に近いことによる、戦火の影響を懸念すること自体は当然である。

 「力による現状変更」は、国際秩序の根幹を揺るがすとして、平和的解決を求めるのは、日本の地理的立場からも肯定はされ得る。しかし、それでも、台湾の帰属を含めて、内政問題である前提は変わらない。中国の立場を尊重することも求められる極めてデリケートな問題であり、だからこその「曖昧戦略」であったという経緯がある。

 つまり、デリケートな問題であるがゆえの、「曖昧」こそがむしろ国益である、という認識が確かにあったはずなのだ。その意味で、一つ間違えれば(というか現に中国はそうとっているが)、この問題で日本が「出兵」も辞さないととられる余地は、何が何でも避けるべきであったはずだ。まして米国の関与を前提にして、同盟国の日本が後方基地として標的になる、といった言説も時々見られるが、その前提そのものが最大限に中国を刺激するのは火を見るより明らかである。11月29日、朝日新聞社説は、「大局観を欠いた発言」と表現している。

 つまり、結論からすれば、高市首相は、今回の国会の答弁で、日本の政権や政治家が好んで繰り出してきた、あの常套句、「仮定の質問にはお答えできない」というフレーズを今回こそ使うべきだった。いつもはこのフレーズに言質をとられまいとする政治家の、逆に想定しようとしない狡さを感じ、むしろ苦々しく受け止める場面も多かったが、ここでこそ、このフレーズでよかった。

 高市首相は、果たしてこれらを理解していなかったというのだろうか。党首討論での台湾言及を、首相は「聞かれたので誠実に答えた」などとしている。前記「曖昧戦略」の価値を彼女が認識していなかったとは到底思えない。中国がどういう反応をするかも想定できた。「自制」こそが、東アジアの安定につながるという国益を守る長年の外交的資産ということもできたかもしれない。

 なぜ、そして何が、彼女を踏み越えさせ、この外交的資産を切り崩すに至らしめたのであろうか。

 まず第一に、長期的な国家の安全保障よりも、国内の特定支持層に向けた「毅然とした強さ」という政治的パフォーマンスが、彼女の中で優先されてしまったのではないか、という推測である。国内には、確かに対中国での彼女の強気の姿勢を歓迎する空気もある。

 しかし、前記したような台湾問題のデリケートな文脈では、それが仇となり、逆に国益を損ないかねない。支持層が求めるリーダー像と、この問題に冷静に対処し得るリーダーの資質との大きなギャップということもできる。もちろん、「強硬さ」による偶発的衝突による、事態のエスカレート、「曖昧戦略」が棄損されたことによる外交上の知恵、抑制力が後退していくリスクも考えられる。

 トランプ大統領と高市首相の電話協議のやりとりも取りざたされているが、彼も高市首相が「曖昧戦略」を棄損し、それを乗り越えたことは歓迎していないように取れる。彼は少なくとも、彼女の答弁を支持するとは言わなかった。

 もう一つの問題は、民主的プロセスの欠如と、それに対する高市首相の感性である。このデリケートな問題は、それこそ一政権一首相の判断で発していいものなのか、逆に国民として、それを許与し得るのかということでもある。高市首相の政治家としての強い対中強硬論と、それを歓迎する特定の支持層を意識した言動が、公共性の高い国家の意思決定に影響を与えたとすれば、それを発する時、彼女の中に、国民的合意や民主的プロセスというものへの感性は存在していたのだろうか、という疑念である。

 この問題での彼女のリーダーとしての資質やミスという視点とともに、「曖昧戦略」の価値を認めず、彼女の言動を支える我々の中にある論調や意識、その影響を我々こそが今、冷静にとらえるべき時ではなかろうか。



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