〈公正適切な裁判に資するか〉
裁判に素人裁判官を参加させるかどうかということは、仮に万一憲法問題がクリアーできたところで、そのことが果たして公正適切な裁判に資するものかどうかという一点からのみ判断されるべきであり、国民の統治主体意識の涵養などという、お為ごかしの意図をもって判断さるべきことではない。
そして、それは良い裁判の実現のために、裁く立場の人はいかなる人であるべきか、その人を抱える裁判所はいかにあるべきかという問題に還元されるべきものである。
裁判という仕事は、突き詰めれば神業に近いことであり、まして人の生命、身体、財産に対し直接に、権力的に影響を及ぼし得る作業を行うことになれば、その担当者は人間的にも極めて困難な立場に立たされる。
そのような職務を行う人間をいかにして獲得し、且つ養成するかが問題の核心である。裁判員という一般国民から選ばれた素人裁判官が、よくその職に耐えうるか、前述のように、その職務に従事したくないという人間を裁く立場に立たせて、果たしてよくその責任を果たしうるのか、そのような者にかかる一生守秘義務を課するような重い責任を負わせて良いのか、また、なりたい者だけを裁判員に選んで良い裁判ができるか、を考えることがその制度の採否には欠かせない検討事項である。
〈司法の最大の問題は官僚化〉
素人裁判官の参加が好ましいという場合は、現在の裁判官の判断には信を置けない、素人裁判官の関与が望ましいという状況の存在が必要である。
日本の裁判には、前述のような種々の改善さるべき問題があることは事実であり、そのまま放置して置いて良いとは決して思わない。しかし、前述のとおり、素人裁判官が参加しなければ正しい裁判が行われないという状況は今の日本の裁判にはない(なお、椎橋隆幸「裁判員制度が克服すべき問題点」田宮裕博士追悼論集131頁も同様の認識ではないかと思われる)。
私の法曹としての50年近い経験から言えば、判事補制度をなくし、権力とは無縁の弁護士その他の法律関連職を少なくとも10年、できれば15年経験した者が裁判官に就任することが望ましいと思っている。
仮に今現実問題としてそれが困難であれば、せめて高等裁判所の合議体の1ないし2名はそのような経験者とすることから始めてはどうかと思う。それもまた困難とすれば、高裁合議体にそのような経歴を有する、憲法80条の要件を満たした非常勤裁判官の任用も考えられる。
現在の司法の抱える問題の最大のものは司法の官僚化であり、それをチェックする手段としてはかかる対応が当面は適当ではないかと思うからである。