〈大法廷判決の判例価値〉
以上述べたところから明らかなように、前記大法廷判決は、通常、裁判員制度合憲判決と評されており、私もこれまでそう評してきたけれども、その合憲性の判断は、上告趣意を正解しないで、本件裁判には必要がないのに抽象的に憲法解釈論を展開するという憲法裁判所的判断としてなされたものであり、本来憲法81条が最高裁判所に与えた違憲法令審査権を逸脱したものと評さざるを得ない(宮澤前掲p676、p692参照)。
大法廷判決が唯一示した判例的価値を持ち得る判断は、裁判員の参加する下級裁判所は憲法76条2項の定める特別裁判所には該らないとの判断ただ1点である。
それ故、この大法廷判決を裁判員制度合憲の判例として引用する後続の小法廷判決は、全て違法な判断をしていることになる。
なぜなら、裁判所法10条1号は「当事者の主張に基づいて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき」は大法廷において判断されなければならないと定めていることにより、裁判員法の前記大法廷判決の合憲とされた部分については、未だ判例は存しないのであるから、後続の小法廷は、これを判例として引用することは許されず、裁判員制度の違憲性が主張された場合には改めて大法廷において審議・判断されなければならなかったということである。
〈説明責任を果たすべき最高裁裁判官〉
もとより、仮に、改めて裁判員制度の合憲性について大法廷が審理判断することになっても、その裁判員制度推進に前のめりの姿勢を保つ最高裁が、今さら違憲の判断を下すとは到底予想されない。裁判員の職務に就くことを国民に強制することが憲法18条の定める苦役に該当するか否かについて、それは参政権と同様の権限を付与するものと裁判官全一致で解するような裁判所であれば尚のことである。
しかし、前記のとおり、弁護人の80条1項の裁判官と裁判員の任命選任制度の齟齬矛盾の憲法問題について、憲法80条1項に定める「裁判官」は裁判所法の定める裁判官に限定されるものではなく、裁判担当者と解さざるを得なくなれば、最高裁が裁判員選任制度の憲法問題についてそれを前提に、複合的解釈手法など回りくどい論法によってではなく、どのように、説得力ある論法をもって分かり易く判示するかを国民は確認することはできることになる。
最高裁判所裁判官各人は、国民の僕として国民に対し真にその良心に従って説明責任を十分に果たすべきである。