〈安倍政権の対応の真意〉
安倍現政権は、歴代の内閣が違憲と解してきた集団的自衛権の行使を、憲法の改正手続きを経ずに単なる閣議決定によって変えてしまう、これまでは許されないとされてきた検察官の定年延長をこれも解釈変更の閣議決定によって適法とし実行に移してしまうという、憲法、法律の遵守精神皆無の政権であるが、こと生命を危険に晒すCOVID19と対面している今、強硬な措置をとると思いきや、私権制限に踏み込もうとしないのには正直奇異な感じさえする。
本当に国民の人権の尊重の理念に忠実に従った結果なのかと疑問に思ってしまう。
このコロナの問題は、ウイルス感染による人の生命の危険対策と併せて、国民の自由、人権の制限の結果として起こる経済活動の停滞或いは衰退を防ぐべき要請とのバランスをいかにとるかという絶妙なバランス感覚の問われるものであることは間違いない。
しかし、ことは、発生すれば取り返しのつかない結果をもたらすものであれば、いきおい人命尊重第一に考えるのが当然であろう。そのためになされる私権制限等の強制措置を、直ちに違憲と評することは出来ないであろう。
〈裁判員強制とコロナ自粛の奇妙な関係〉
国民に対し、その人権を制限し義務を課す際にはそれを課さねば他の人権を侵害することとなる、いわゆる公共の福祉を守るために万やむを得ない事情がある場合に限られることは当然である。憲法13条の規定はそのことを定める。このコロナの危険性はその規制を正当化する素地がある。しかし、それでも政府はその関係での国民への強制措置には慎重である。
ところで、この国にはこれまでかかる強制を正当化する素地が全くないのに国民に対し国家的義務を課してきた例がある。そして、その義務化は今も続いている。
今は余り取り上げられなくなったが、裁判員制度が司法制度改革審議会の最終報告で提案されたのち暫くの間はその制度に批判的な意見も述べられていた。しかし、制度施行10年余を経て、制度設計にかかわるものや、コロナの影響で、長期間裁判員裁判が開かれないなどの形で報道されるほかは、それに関する話題は殆ど目に付かなくなった。
しかし、以前から裁判員制度は違憲のデパートと言われたように種々の重大な問題を含んでおり、その中でも最大の問題と言えるものは、国民に対する裁判員となることの義務化であろう。いわゆる徴兵制につながるものではないかという指摘である。
今般国民に対しコロナの感染拡大を防ぐために行動の自由など私権制限を強制し得るかが議論され、我が国ではその強制を回避する措置が取られている。そこまで国民にたいして人権制限に慎重でありながら裁判員の義務化については、立法の過程でも真剣に議論された形跡はない。