〈裁判官がリードするから問題ないという発想〉
判決は、その立論の流れとして、裁判員法による裁判員制度の具体的な内容が適正な刑事裁判を実現するための諸原則に適合するか、そこに憲法に違反する点があるか否かを検討している。裁判員制度の合憲判断をなすについては、かかる立論の間違っていることは前に詳述した。
それはさて置き、その判示は、裁判員の選任及び選任後において不適任者と目される者を排除できること、法令の解釈等は裁判官に委ねられ、それには裁判員は関与できないこと、評議においては裁判官が法令の説明をして分かり易いものとすることなどによって裁判員の職責を十分に果たすことができる仕組みになっていることなどから、憲法が定める刑事手続の諸原則は確保されるという。これは要するに、裁判官が裁判員に対し懇切丁寧に説明しリードするから問題はない、憲法には違反しないということである。
裁判員制度が司法の国民的基盤の強化に資するという判決の立場と、この裁判官が裁判員にしっかり説明しリードすることとはどのように結び付くのであろうか。
それは、職業裁判官が優位にあって裁判を全体的に支配しているから問題はない、裁判官は裁判員に教えるもの、裁判員制度は国民に対する教化そのものであって、司法の国民的基盤の強化につながるようなものでは到底ないことを自認しているといえるのではないであろうか。
〈「憲法と法律のみに拘束される」裁判ではない〉
判決は、憲法76条3項違反の主張について、憲法が一般的に国民の司法参加を許容しており、裁判員法が憲法に適合するように法制化したものである以上、裁判官が時に自らの意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があるとしても、それは憲法に適合する法律に拘束される結果であるからその違反の評価を受ける余地はないと判示する。その点の補強として、裁判官は裁判の基本的担い手としての権限を有していることを掲げ、評決でも必ず裁判官1名以上が多数意見に加わっていることを必要としていることからも問題にならないという。
この問題は、裁判員法の規定上、裁判官が裁判員の判断に拘束される場面が出てくることは憲法76条3項の裁判官の独立条項に違反しないのか、このような事態も招来される裁判員制度自体が憲法に違反しないのかというものである。
これに対する上記の判示は、憲法に違反しない法律に基づくものだから憲法に違反しないということであり、西野教授も説かれるとおり循環論法に近い。かかる論理を展開することになったのは、前述のとおり、具体的制度設計の憲法上の検討を怠って、抽象的に、司法への国民参加を論じるという、合憲判断を導き出すための作為としか考えられないような判断過程を選択したからである。
ここで問われているのは、司法への国民参加が一般的に仮に合憲だとしても、制度設計としてその参加した国民の意見に裁判官がその意に反して結論として従わなければならない事態が生じることになった場合に、それは憲法76条3項に違反しないのかということである。
それ故、国民の司法参加を一般的に合憲としている以上違憲ではないというのは、この上告理由に対して答えたことにはならない。この点は前述のとおり司法審でさえ最終意見書で「憲法(第6章司法)」と特に例示し検討を促しているのに判決はその判断を怠ったということである。
裁判員は基本的に法律の素人である。裁判には裁く基準が必要である。短時間裁判官から講釈を受けたところで、合理的疑いを超えた有罪の心証と疑わしきは罰せずという場合の「疑い」の境界のような判断をおいそれと出来る筈はない。事実認定と言っても、今目の前にあるものが何かを言い当てるものではなく、証拠法則に従った評価を経て出される結論であり、そこには証拠法則の理解と訓練が必要である。
憲法は、「裁判官はその良心に従ひ独立して職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定める。裁判員は憲法も法律も知らない素人である。素人の判断基準は、憲法でも法律でもない、その各人の生活歴から出て来るいわゆる常識或いは単なる感覚的、感情的なもの、いずれにしても曖昧なものであり、その裁判員の判断に裁判官が拘束されるということは、憲法76条3項が求めている「憲法と法律にのみ拘束される」裁判ではないと言わざるを得ない。
「国民が参加した場合であっても、裁判官の多数意見と同じ結論が常に確保されなければならないということであれば、国民の司法参加を認める意義の重要な部分が没却されることになりかねない」との判示は、司法制度改革審議会において示した最高裁の意見(第30回司法制度改革審議会議事録及びその添付資料記載の「憲法上の問題を考慮すると参審員は評決権を持たないものとするのが無難である」)からすれば雲と泥の違いがあるばかりではなく、その理由付けは、裁判官の独立が脅かされるのではないかとの疑問に対し、いわば脅かされることがあっても国民の司法参加が優先されるべきだということであり、明らかに憲法76条3項を無視することになる。
裁判員の意見を参考として、最後は裁判官の多数意見で裁判官が責任を持って判決するという前記最高裁が述べた司法審での意見のような制度設計ででもあれば別として、国民の司法参加を認めたことによって裁判官が時に素人である一般国民の意見に従うこととなるような制度設計は明らかに憲法76条3項に違反する。そうであれば、その点は制度の根幹に関わるものであり、かかる制度設計に基づく裁判員制度は制度全体が憲法違反になると判断されるべきである。