司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈選任権者、任命権者の定めの重要性〉

 

 憲法は国家権力を立法、行政、司法の三権に分立させ、国会については「全国民を代表する選挙された議員で組織する」と定め(43条1項)、行政については、内閣総理大臣について国会議員の中から国会の議決で指名することとし(67条1項)、国務大臣は内閣総理大臣が任命することとし(68条)、司法については、これを担当する最高裁判所の裁判官についてはその長は内閣の指名に基づいて天皇が任命すると定め(6条)、その長を除いた裁判官は内閣が任命することとし(78条1項)、下級裁判所の裁判を担当する裁判官については最高裁判所の指名した者の名簿によって内閣で任命することとしている(80条1項)。

 
 この選任権者、任命権者の定めについては、何故そのような定め方をしたのかについて、その理由と重要性は特に注目されるべきことである。

 
 民主主義国家においては、立法という国家の基本的施策を定立する行為は、国民の意思に最も直結していなければならないから、国民の選挙という選任方法を選択し、行政については、議院内閣制という行政制度を選択したことに伴い、その長は国会議員の中から国会が選任する(衆議院の優越を認める)、司法の職務担当者については、国民主権との正統性の保持と、司法という本質的に政治の組織原理とは異なり国民の多数決に馴染まず且つ少数者の保護を本来の職責とするものであることとの調整から、前記のような選択方式が選択されたと解されるのである。

 

 その際、我が国が明治憲法以来採用している職業裁判官による裁判の歴史を念頭に置いたであろうことは想像に難くない。アメリカの一部州で行われている裁判官の直接選挙による選任制度は否定している。

 

 

 〈憲法第6章に定められている裁判官とは〉

 
 憲法32条に定める裁判所は、憲法第6章に定める裁判所以外にはなく、国家は国民に対しこの第6章に定める裁判所において裁判をうけることを認め、また、それ以外のものは裁判所とは認めないこととしたのである。裁判員制度の問題は、司法に対する理解の増進と信頼の向上、或いは司法の国民的基盤の確立をお題目として一般市民を裁判に参加させることの是非と効果、或いは制度設計を中心に議論されてきているけれども、その問題の本質は、憲法第6章に定める裁判担当者として裁判員を含めることは可能か否かという問題である(強制の問題は一応置く)。

 
 最高裁大法廷の前記判決は、「憲法は、『第6章 司法』において、最高裁判所と異なり、下級裁判所については、裁判官のみで構成される旨を明示した規定を置いていない」と判示し、憲法制定過程等について縷々説明する。また、「憲法80条1項が裁判官のみによって構成されることを要求しているか否かは、結局のところ、憲法が国民の司法参加を許容しているかに帰着する問題である。既に述べたとおり、憲法は最高裁判所と異なり、下級裁判所については国民の司法参加を禁じているとは解されない」と判示する。また、憲法80条の解釈として「刑事裁判の基本的な担い手として裁判官を想定している」ともいう。

 
 これらの一連の大法廷の判示からうかがわれる憲法第6章に定める「裁判官」なるものの最高裁の解釈は、我が国が明治憲法以来採用してきた、裁判官として任ぜられた者と解していることが分る。しかし、それは決定的誤解である。

 
 宮澤俊義教授は、憲法76条1項の裁判官について、「『裁判官』とは、裁判所を構成する者をいう。『裁判官』の『官』という言葉は、明治憲法時代には、天皇の任命する官吏を指すときに使われたが、もちろん日本国憲法では、『官』の字にそういう意味はない。裁判人または裁判員といっても同じことである」と説いている(コンメンタール「日本国憲法」p603、下線筆者)。

 
 憲法80条1項の裁判官についても、これと別異に解すべき理由はない。同条に定める裁判官とは、下級裁判所を構成する者、下級裁判所において裁判を担当する者の総称である。つまり、憲法上は下級裁判所を構成するものは80条1項に定める「裁判官」以外にはないということである。



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