司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 〈「民主的正統性」をめぐる議論の欠落〉

 

 前述のように、施行を目前にして「裁判員制度を問い直す議員連盟」が発足していたように、この強制規定の点だけではなく、国会は裁判員法全体について基本的に検討し直すことが必要である。その1つとして、憲法32条により「裁判所において裁判を受ける権利を有する」被告人に対し、裁判官裁判という、これまで同じ立場の被告人が受けることが当然とされてきた裁判形式を排して裁判員裁判という形式の裁判のみを受けることを義務付けることの正当性について、我が国の裁判制度の根本に立ち返って検討することは国会の責務であると考える。

 
 前記最高裁大法廷判決は、憲法は司法への国民参加を許容している、明治憲法24条に「日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルコトナシ」と規定しているところ、日本国憲法32条には「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定してあり、「裁判官」による裁判とは規定していないから、裁判員裁判を受ける権利を保障すれば憲法上裁判を受ける権利の侵害にはならないと説くものもおり(土井真一「日本国憲法と国民の司法参加」岩波講座「憲法」4p235)、前記大法廷判決もその論を採用している。

 
 しかし、私は、以前にも説いたけれども(司法ウォッチ2014年9月1日、9月16日)、憲法80条1項に定める「裁判官」は裁判所法に裁判官と規定されたものだけではなく、下級裁判所において裁判を担当する者の総称であって、国民の代表者としての実質的資格を有し、司法権力を行使するものとしてその良心に従い独立して職権を行い得る者、任命形式も憲法の規定に従うものであって、民主的正統性を有するものでなければならない。司法審竹下会長代理も、司法の民主的正統性は「議員内閣制を前提としてこの議員内閣制の下にある内閣の任命またはその前提として最高裁判所の指名というものを予定するところに、司法という、立法、行政と異なる統治作用の民主的正統性のぎりぎりの根拠を求めている」と説いている(司法審第32回2000年9月26日)。

 
 2004年の裁判員法の国会審議において、かかる根本的問題点について議論がなされた形跡はない。その議論は司法の民主的正統性に関するものであるが、それとは別に、司法権力者の地位につく裁判員自体の民主的正統性についての議論を避けることは許されない。

 
 被告人の選択権の問題が議論されたことはあるが(衆議院法務委員会2004年4月7日)、それはかかる司法及び裁判員の民主的正統性に根拠を置くものではなかった。
一定の重大事件の被告人については、民主的正統性を有しない裁判員参加裁判所を憲法32条の裁判所であると解した最高裁大法廷判決さえ、刑事裁判の「基本的担い手」と述べる裁判官による裁判、裁判員制度が施行される前には日本の唯一の正当な裁判所として認められ、現に99%余の裁判の正当な裁判所である裁判官裁判を被告人は何故に選択できないのか、それについての納得できる説明はどこにもない。

 
 
 〈選択権問題の徹底審議を〉

 
 この選択権の制限の問題については、現在最高裁の裁判員制度の運用に関する有識者懇談会の座長を務める椎橋隆幸教授でさえ選択権を認めるべきであろうと説いている(「裁判員制度が克服すべき問題点」田宮裕博士追悼論集(下)p119以下)。

 
 日弁連刑事法制委員会は、2010年12月3日「裁判員制度見直しの要綱試案のために」と題する意見書において、「被告人による選択権が必要といえよう」と記述していた。但し日弁連が、裁判員法施行3年後の検証を踏まえた裁判員裁判に関する改革案からは、どういう経過かは分からないが、この選択権の問題は消えてなくなっている。

 
 討議民主主義理論によって何とか裁判員制度の合憲性を説こうとする柳瀬曻准教授は、その思考の過程で、「憲法学の中心はリベラルデモクラシーなんですけれども、自由主義的な観点からいうならば、選択の自由が与えられる方が望ましい。でも、それだと選択権を認めない現行の制度の説明が難しいのではないかと私は考えたわけです。」と述べている。そうであれば選択権否定は憲法上許されない、少なくとも制度として望ましくないとの結論に到達するのがごく自然であるのに、同氏は、それについては「裁判員制度が公共的な討議の場だとすれば……制度そのものを維持するために障害となりうるような被告人の選択権というものは否定するべきだ」と理由付けをし、選択権否定を受け入れている(「討議民主主義理論に基づく裁判員制度の意義の再構成」明治大学学術成果リポジトリ、2013.3.31、p64)。

 
 同氏は憲法学を専門としているからか、刑事裁判が歴史的に被疑者・被告人の人権保障を目的とするものであるという本質を考慮しないで、司法を国民の公共的討議の場、国民の民主化錬成道場としてのみ捉えようとしている。しかし、それは到底承服し得るものではない。それ故、私には、その理由付けは、何とかして選択権否定を正当化しようとする屁理屈としか思えない。但し、同氏が選択権の問題が憲法上極めて重要な問題だと捉えていること自体は正しい。国会はこの改正法案の審議に際しては、立法機関、国権の最高機関としての独自性を最大限発揮して、この選択権の問題も徹底的に審議してもらいたい。



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