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 〈生き方や価値観が置き去りにされた教育〉

 「よりどころ(拠り所)」とは、「たよりになるもの」とか、「ささえ」という意味です。ここで言う「日本人の心のよりどころ」とは、「どのように生きればよいかという、日本人のたよりどころ」という意味です。「日本人は、何を大事にして生きるべきか」という考え方の基となる物差し、ハカリとなるべき価値観のことです。

 この世で一番大事な価値は何でしょうか。究極の価値は何でしょうか。それが「心のよりどころ」です。

 これは日本人に限らず、人間なら誰でも同じである気がします。誰もが正しいとする考え方、即ち「永久不変、世界普遍の真理」です。ですから、それは「日本人の心のよりどころ」というより、「人間の心のよりどころ」というのが本当なのです。

 拙著「旧・憲法の心」の「はじめに」で、次のように述べました。そこで述べた考え方は、今でも変わっていません。

 「私は、昭和24(1949)年4月に小学校に入学し、昭和36(1961)年3月に高等学校を卒業した。この12年の間、国語、英語、数学、社会、理科などの知識を教え込まれた。しかし、『人間は、どのような心で生きなければならないか』ということについては、何も教えられなかった気がする。つまり、戦後の教育は『心のよりどころ』については何も教えてくれなかったと言っても過言ではない」

 戦後教育は、知識を詰め込むだけで、「人間はいかに生きるべきか」などという心の問題を回避してきました。心の問題を教えられないまま教師になれば、心の問題を生徒に教えられないのは当たり前です。どこのでも心の問題は置き去りにされてきました。

 特に、最近の教育は、知識偏重の偏差値教育です。暗記中心の知識の詰め込み教育です。「人間はどう生きるべきか」、「この世で究極の価値は何か」などと考えている暇がないほど、知識を覚えるのに忙しい子どもたちです。考えることを教えず、考える暇を与えない戦後の教育は、知識はあるが考えない、感性の弱い、疑問を感じない人間を数多世に送り出してしまいました。

 それでも、先生の中にはそれとなく「人間はこういう生き方をすべきだ」とか、「人生において、何を一番大事だと考えるべきか」などということを、教えてくれる先生もいました。しかし、それはごくわずかな先生に限られ、多くの先生は、正面切って生き方や価値観について教えてくれることはありませんでした。そのような授業は皆無でした。

 終戦直後の先生のほとんどは、生き方や価値観を教えることについては躊躇したり、遠慮気味だったり、自信がない様子でした。

 授業中に、生き方や人生における価値観、「永久不変、世界普遍の真理」などについて教えてくれる先生はほとんどいませんでした。「知識より、心の持ち方が大事だ」などという先生は、あまりいませんでした。

 そのような教育を受けた生徒が先生になっても、生徒に生き方を教えられないのは当然です。生き方や価値観は、教育の場からどんどん置き去りにされてしまいました。生徒の偏差値を押し上げる先生が評価され、偏差値の高い生徒が優等生と言われるようになってしまいました。「知識」はあるが、「知恵」のない優等生が多くいます。


 〈戦前の反省と反動〉

 大人になってからですが、「なぜ、学校は大事なことを教えてくれなかったのだろうか」と思うようになりました。そして、それは終戦後しばらくの間は、「戦争に対する反省」によるものであったことに気付きました。

 日本人は、「心のよりどころを間違えれば、戦争になる」ということを、戦前の「富国強兵政策」によって、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と、休む暇もなく戦争に明け暮れたうえ、日本人だけでも310万人もの犠牲者を出した太平洋戦争での敗戦を体験し、痛感したのです。その結果、「心は自由でなければならない。国は、心に干渉してはならない」ということが身に染みたのです。

 戦前の反省と反動で、終戦後しばらくの間、先生は子供たちに対し、心のよりどころを教えることに躊躇したのです。「心の問題は教育すべきではない」と思うようになったのです。先生方の間に、互いに「そういう教育はしないようにしよう」との暗黙の了解があったのかもしれません。互いに牽制し合っていた様子も見られました。

 先生に限らず、親も同じでした。世間もそうでした。マスコミもそのような傾向がありました。政治家も、心の問題に触れることはタブーでした。終戦後しばらくの間は、戦争に対する反省の結果、心の問題は教育の場、政治の場などではタブーとなっていたのです。

 心の問題をタブー視し、教えることも教わることもしなかった結果、心の問題は教育の場はもちろん、家庭でも職場でも論じられることはあまりなくなりました。その結果、先生も親も世間も、心の問題、生き方の問題を論じる能力がなくなったと言える状態になっているのではないかと思われることがあります。事件処理を通じ、多くの親や先生と接する機会がありますが、そういう印象が少なからずあります。

 終戦後しばらくの間の先生方が子どもたちに心の持ち方を教えることをためらった理由は、憲法の勉強をするようになって初めて理解できるようになりました。それまでは、「なぜ、心の問題を教えないのか」などという疑問さえ湧きませんでした。先生方の知識の切り売りとも思える指導に、何の疑問も感じませんでした。小さい頃から知識の詰め込み教育を受けていると、考えることをしなくなり、知識の詰め込みが当たり前と思い込みました。

 憲法の勉強をするようになり、日本が戦争を繰り返し、「好戦国民」とか「好戦国」と呼ばれるようになったのは、戦前の教育が大きく影響していたことを理解するに至りました。

 終戦直後の先生方は、そのことをよく理解し、過去を反省していたのです。ですが、最近の先生方はいかがでしょうか。反省というより、考えない習性が身についているのではないでしょうか。「知識を教え、偏差値を押し上げることが先生の仕事だ」などと誤解していないでしょうか。言い過ぎでしょうか。仕事柄、多くの先生に接する機会がありますが、そういう印象があります。

 「旧・憲法の心」の「はじめに」で、次のように述べました。

 「戦前は、『教育勅語』によって『子は親に孝養を尽くさなければならない』とか、『非常事態の発生の場合には、国の平和と安全に奉仕しなければならない』とか、『先祖が残した伝統的美風をさらに一層明らかにしなければならない』などと教え込まれ、『愛国心』を叩き込まれた。その反面において、『非国民』などという言葉が生まれた。心のよりどころとされた教育勅語が、全体主義、国粋主義、軍国主義に悪用されるに至った。その結果、太平洋戦争に至った」

 日本人は、過去の反省の結果、「心の問題は、国や法律が関与すべき事柄ではない」、「心の問題は、教育で教え込む問題ではない」との考え方に至ったのです。その考え方はし、的を射た考えだと確信します。ただ、心の問題がタブー視され、教えらなかった結果、「日本人の心のよりどころ」はどこにあるのか、分からなくなっていることも事実です。

 「旧・憲法の心」では、「その結果、戦後60年が経過した今日においても、日本国民の心のよりどころとなる根本的な考え方は、国民に定着していない」と述べました。今、大きく変わっていません。むしろ、年々心の問題は教育の場から、親子の会話の場から、遠ざけられている気がします。遠ざけられているというより、親も子も先生方も遠ざけているという方が正しい気がします。確かに、そんなことを考えなくとも生きてはいけます。

 戦前を反省し、「心は自由でなければならない」という考え方に至ったことは正しいと思いますが、新しい心のよりどころが見つからず、先生も親も、生き方や価値観を教える自信を失いました。自信を持って「こう生きるべきだ」ということを、親も先生も子どもに教えることができませんでした。そうしている間に、そういうことは考えないことが当たり前になってしいました。その結果、「日本人の心のよりどころは、いずこに」という状態になってしまいました。

 私も長い長い間、何を心のよりどころとして生きればよいのか、分かりませんでした。あまり考えることもしませんでした。皆様は何を心のよりどころとしておられるのでしょうか。何を究極の価値とお考えでしょうか。そういうことを考える機会は、おありでしょうか。心のよりどころをしっかり持つことが、マインドコントロールされないためには絶対不可欠です。そのことは、戦後74となる今こそ、必要な時です。

 私は、法律を学ぶようになってから、「いつか、日本人のこころのよりどころとすべきものを見つけ出したい」と考えるようになっていました。身近で分かりやすい、心のよりどころとなるものを探してきました。ここでは、「日本人の心のよりどころは、日本国憲法である。その中心は9条である」という私見を述べたいと思います。
  (拙著「新・憲法の心 第14巻 戦争の放棄〈その14〉」から一部抜粋 )


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