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 〈公娼と弁護士〉

 「公娼」とは、「公認された娼妓」である。「娼妓」とは、「遊女。特に公認された売春婦」と広辞苑は解説している。「売春」とは、「女性がカネを得る目的で性交すること」である。「日本の公娼制度は鎌倉時代に始まり、1958年売春防止法により廃止」とも広辞苑には書いてある。

 昔から、公認された売春婦はいた。公認とは国が正式に認めたものだ。売春婦は昔から公認されていた。国が売春婦を公認したのは、性病が蔓延しないように、国がコントロールしようとしたからだ。売春婦は、客に肉体的サービスを提供してカネを稼ぐ商売であり、昔からあった商売である。

 地方弁護士として、紛争の一方当事者からカネを貰って依頼者の代わりに紛争に勝つために闘うことを主たる仕事としてきた。依頼者からカネを貰って、依頼者の求めるサービスを提供するという面では娼婦と変わらない。

 依頼者からカネを貰って紛争の代理人として闘うには、弁護士資格が必要だ。国がその資格を与え、公認した弁護士でなければ、その仕事はできないと法律は定めている。紛争の代理人となってカネを貰えるのは、国が公認した喧嘩犬と揶揄される弁護士だけだ。そうではない人が商売として、紛争の代理人となると犯罪となり処罰される。

 弁護士は、サービスを提供するという点では公娼と同じだ。カネを貰って紛争の代理人となることを誰にでも認めると、ヤクザなどが紛争に介入し、社会的に好ましくない問題が生まれることを懸念し、国は商売として紛争の代理人となれる者を弁護士資格のある者に限定した。これは、性病の蔓延を恐れて、国がコントロールできるようにした売春婦、つまり国が公認した公娼にだけ売春という商売を認めるという制度を設けたことと同じだ。

 公娼は、国から売春婦として商売をしてもよいと公認され、弁護士はカネを貰って代理人となって闘ってよいと公認された。国は売春と喧嘩の代理人を商売とすることを誰にでもやりたい放題やらせたら、社会に害を及ぼしかねないから国に正式に認めた者に限ってやらせなければならないと考えたのだ。

 社会に害を与えかねない売春婦と喧嘩犬の役割を、公認制度で公娼と弁護士に限ったのだ。そういう意味では、公娼と弁護士はよく似ている。

 売春と喧嘩は、それ自体は悪であり、無くて済むなら無い方がよいのだが、人間社会の中でどうしてもなくてはならない必要悪というべき売春と、喧嘩の代理人というサービスの提供を、国は条件付きで公娼と弁護士という資格のあるものだけに限定して認めた。

 売春や、喧嘩の代理人という仕事は、無くて済むなら無い方がよいのだが、カネで女を買うことや、紛争は世の中から無くならないことは分かっているので、法律が条件を付けて公娼と弁護士の存在を認めたという点では、公娼と弁護士は本質的に同じだ。弁護士の仕事の本質などについて考えたことはなかったが、こんなことに気が付いた。


 〈サービス業としての本質〉

 弁護士業は、農業や漁業のように自然界から直接富を取得する仕事ではなく、何かを加工して富を製造する仕事でもない。何か物を提供する仕事でもない。サービスの提供、つまり客をもてなす仕事である点では、芸能人や公娼と同じだ。

 サービスを提供する仕事の中でも、喧嘩の代理人という必要悪的存在であることは、売春を仕事としている公娼と同じような立場にある。長く弁護士をしている身としては、こんな話をすることにはためらいがあるが、ここは語らなければならない。ここは弁護士業の本質に関わることである。きれいごとでは、済まされない。

 このような認識を弁護士自身が持つことは、地方弁護士の商売面を語る上で大事なことだ。この認識かなくては、いつか地方の弁護士の経済的基盤が崩壊しかねない。今更だが、地方弁護士業の本質を再確認して、地方弁護士は地方住民に、これまでのサービスの提供のままで生き残れるのか、地方弁護士はこれからどのようなサービスを提供して商売をすべきかについて真剣に考えなければならない時が来ていると確信する。地方弁護士が地方住民に対し、どのようなサービスを提供していくかということは、地方弁護士の商売の将来を考える上では、重要な問題である。

 公娼と弁護士を同じレベルで取り扱うことには、異論があろう。他の弁護士からお叱りを受けることになろう。しかし、既にお気付きのように双方には次のような共通点がある。

 一つは、どちらも公認されていること。二つは、どちらも客からカネを貰うこと。三つは、どちらもその仕事の内容は、サービスの提供であること。四つは、どちらもそのサービスは、提供する者の身体状態や、人格や、知識レベルなどによって社会に害を及ぼす虞が大きいこと。五つは、売春も喧嘩も本来ならない方がいいものであること。しかし人間の本性からなくならないことが分かっているから、条件付きで認めたものであること、つまり必要悪であるということになる。

 それらの共通点の中でも、公娼も弁護士も必要悪というべきサービスを提供し、そのサービスを受ける人からカネを貰うことを商売にしていることは、最も本質的な共通点といえる。どちらもそのような商売は無くて済むなら、無い方が社会的によいという存在であることも本質的な共通点である。

 必要悪という点を除き、サービスの提供という点だけを見れば、芸能人も同じだ。芸能人は公認されなくともやれるという点では、公娼や弁護士とは違う。そもそも芸人は必要悪ではない。必要不可欠とまで言えるかどうかはともかく、必要悪ではない。楽しい人生を送るためには、必要不可欠な存在であるとも言える。

 「人生は、いまの一瞬を、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くすのみ」という「いなべんの哲学」から言えば、芸能は世の中にとって必要不可欠な存在と断言できる。その能力によっては、芸能は芸術の域に達しているものも少なくない。芸能というサービスを提供する商売は、サービスを提供し、カネを貰う商売であるという点においては、弁護士の仕事と共通している。

 「お客様は神様です」という考え方は芸能だけではなく、弁護士業にも共通している。同じサービスを提供する職業の中でも、国民的歌手とよばれるほどの人気者が「お客様は神様です」と言って、客を大事に考えていた。これはサービスを提供してカネをもらう商売をしている者としては、その本質を見事に掴んでいる。サービス精神に徹している。自分は、サービス業をなしているという認識の下に客をもてなすというサービス業の本質を貫こうとしている。

 地方弁護士には、そのような意識があるだろうか。これまでの自分には、その意識が不足していた。

 (拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』から一部抜粋)


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