〈国民にある憲法を守り通す責任〉
憲法97条は、さらに「これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と続けている。この部分も、あまり深く考えたことはない。改めてその骨子だけでも考えてみたい。せめて漢字の意味だけでも確かめておきたい。
「試練」とは、「精神力や能力などを厳しく試すこと。また、その力が問われている苦難」と手許の辞書は解説している。日本国憲法が保障する基本的人権は、過去幾多の苦難に堪えたのである。その苦難の代表は戦争である。明治憲法下においては、日本は日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争・第二次世界大戦と休むいとまもなく戦争に明け暮れた。それが、ここで言う「過去幾多の試練に堪へ」という意味である。
そのような苦難に堪えて獲得した基本的人権は、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と、憲法97条は言う。
「信託」とは、「相手を信用して任せる」と国語辞典にはある。憲法97条は、現在及び将来の国民を信用して、国民に基本的人権を守ってもらうことを任せたのである。現在の国民だけではなく、将来の国民に対しても信用して任せたのである。つまり、日本国民はいつでもこの憲法の究極の価値である人命と人権を守り通さなければならない責任がある。そうしなければ過去の日本人に対しても、将来の日本人に対しても、責任を果たせない。
一時の政権担当者が、その時の疑いや打算や駆け引きなどで、現在のみならず将来の日本国民に対しても保障されている基本的人権を侵すような方向に進む危険性のある憲法改定に賛同するなどということは、この規定の存在とその真意を知ればできるはずなどない。安倍元首相などの一派は、この日本国憲法97条の存在も、その真意もほとんど知らない気がする。その真意を理解しているとは思えない。日本国民の中にも、知らない人が少なからずいそうである。
そのような政治家や国民や地方住民に対し、日本国憲法の真意、つまり本当の気持ちを知らせることは弁護士として、従って我々地方弁護士としても、最も大事な社会的使命であると自覚しなければならない。
小中高大と6・3・3・4の計16年間も学校で学ぶ学歴のある人間が半数を超える日本社会ではあるが、その生活の根本法である日本国憲法に関する正しい知識は、一般的に高いとは思えない。政治家だって、首相だって、決して高いとは言えない。
そのような政治家の下では、国家機関が憲法の真意を国民に積極的に説き広めようとはしない。そのような政治の下では、学校の先生にそれを期待することも難しい。政治家は、自己の都合のよいように憲法を解釈・運用しようとする。国民は、そのような政治家の動きに従って右往左往する。日本国憲法の真意を知らない国民は、どうしたらよいか分からず、まごつきうろたえる。中には、憲法の真意など知ろうともしないで、自分の権力の保持だけに走る政治家の口車に乗せられる人も多くいる。
これは極めて危険である。こんなことでは、憲法97条が「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という基本的人権も、風前の灯火となってしまう。今にも絶えてしまう危ない状態となる。
プーチンのロシア軍のウクライナ侵攻という機会を利用し、国防費の増大を企てている政治家に同調する国民は多い。それを阻止することは、弁護士の社会的使命だと確信している。そこで前述したが、令和4(2022)年7月23日には、「コロナウイルスとウクライナ侵攻と憲法9条」と題する市民向け講演を企画した。
〈国や権力者に左右されない基本的人権〉
弁護士は国民に対し、日本国憲法の真意を常に知らせ続けなければならない社会的使命がある。全国で展開している一票の格差に関する憲法違反訴訟などは、心ある弁護士が集まって、弁護士の社会的使命を果たしている代表的な事例であり、地方弁護士としても見習うべき格好の行動である。憲法の存在とその真意を、国家機関のみならず、国民に知らせるためには、あのような行動を起こすことは極めて意義深い。憲法97条が、国民に人権を守ることを信託した。一票格差是正運動は、これに応える弁護士と、それに同調する国民の行動として高く評価したい。
一票の格差憲法違反訴訟を担当している弁護士のメンバーには、弁護士として著名な方も多い。そういう弁護士が弁護士の商売面を犠牲にしてまで、弁護士の社会的使命という面に一生懸命な姿には、同じ弁護士として感動する。地方弁護士も、こうでなければならないと思いながら、それらしきことが全く出来ず、斬鬼の念に堪えない。せいぜいこのような駄文を書いて、鬱憤を晴らしたい。
日本国憲法の見出しには、「基本的人権の本質」とある。本文には、「本質」という言葉はないが、本質という言葉に触れたい。手許の国語辞典には、「そのものが、それ以外のものではないことを示す、おおもとの性質。元になる大切な要素」とある。分かった気もするが、分かり難い気もする。いろいろ考えた結果、「本質とは、それがなくなれば、それではなくなるもの」と言った方が分かりやすい気がしてきた。
このような本質を理解すると、憲法97条のタイトルを「基本的人権の本質」としたのは、基本的人権は、人類の多年に亘る自由獲得の努力の成果の結果、獲得したものであり、その認識を失ったら、基本的人権とは言えなくなるという意味に理解すれば、このタイトルに納得することが出来る。つまり基本的人権は、国や権力者から与えられたものではなく、人類が自ら獲得したもので、国や権力者によって左右されるものではない。権力者が基本的人権を左右するようになったら、それはもう基本的人権ではなくなるということになる。
また基本的人権を守るのは、国や国家権力ではなく国民である。国民が自ら守らなければ、基本的人権は守れない。現在及び将来の国民に基本的人権は守るように任せられているのである。国民が創り出し、国民が守り通さなければ、基本的人権とは言えないのである。それが基本的人権の本質ということになる。
このことは、あまり国民は知っていない。こういうことを国民に知らせる役割は、誰が果たすべきであるか。学校教育で子供の頃から教え込むべきだと思うが、十分にはそれはなされていない。教える立場の先生さえ、あまり勉強はしていない。これでは教えられない。この役割は、弁護士が果たすべきであると確信する。
(拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』から一部抜粋)
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