司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 夜は、クメール文化の華、アプサラ(天女)の踊りと戯曲を観劇したが、ポルポト時代に、300人もいた踊り子や師匠たちの90%が殺されて、この伝統芸術も滅亡する寸前のところまで行ったという。同じような事、ブルジョア文化に対する処刑が、宗教界でも、法律界でも、教育界でも行われたから、フランス植民地時代を通して発展してきた司法制度も、官僚機構も完全に無くなってしまったのだ。

 今、この国は明治維新の頃の日本と同じ状況にある。明治政府がまず作ったのが、全国から貧富を問わず秀才を集めて作った行政機構、高等文官制度という官僚機構だった。この国にも民事司法の前に、優秀で清潔な行政組織が必要なのだろうが、賄賂が平然と横行していて、最近やっと公務員の腐敗防止法が出来たということだ。しかし、賄賂は公務員の少ない給料を補うための手段にもなっている。

 もっとも政府では日本のことを相当に研究しており、産業と都市への東京のような極端な集中や過剰な中央集権行政については反面教師として、それを避けて独自の国づくりを目指しているということである。ポルポト時代に400万人に減った人口が今では1400万人に増えた。10%台の経済成長を維持しているが、これも2000年代からの世界経済のグローバル化と市場経済化のおかげでもある。

 当然に社会問題も生じてくる。街を歩けば物乞いに遭遇するし、エイズ大国(感染者17万人推計)でもあり、カラオケ売春の相場は200ドル、隣国タイへの児童売買などが問題になっている。夜の街も賑やかではあるがバイクでのひったくりもあったりするから、一人歩きは危険だ。

 王立大学の日本法の学生たちは身長が低い。150センチ台で大学生でも子供に見える。しかし、思えば明治の日本人も身長は150センチ台であった。明治の志士たちも西洋人から見れば子供のように見えたに違いない。学生たちばかりではなくクメール人全体も身長が低いように見える。カンボジアで脳卒中と糖尿病対策が深刻化して行くのにあと何年かかるのか分からないが、その頃には平均身長は今の日本人と同じくらいになるのだろう。

 最後に観光をした。アンコールワットとアンコールトムに行く。日差しがきつい。キリキリと痛みを感じるような暑さだ。それにしても、日本人はどうしてサングラスが似合わないのだろう。サングラス無しではとても歩けないのだが、サングラスをすると会員Aは新宿キャバクラの呼び込みの兄ちゃんのようになるし、会員のBさんは、目の病気を患っている人のように見えたりする。こんな暑さの中でクーラーも扇風機も無い中、石を積み石を削り、この巨大な神殿が出来たのかと思うと人間の能力に脅威すら感じる。

 この人間への脅威は、ユートピア国家建設のためには、平気で人間を殺害できるということへの脅威に通ずる。カンボジアにヒューマニズムの伝統はないし、仏教もインド系(上座部仏教)で、バラモン教などの影響を受けて、蛇は神様である。これはアステカ文明と似ているかもしれない。

 もっともキリスト教西洋社会も、ユダヤ人の集団殺害や古くは殺人部隊の十字軍や、魔女狩り、異端者迫害、残虐の例には事欠かない。キリングフィールド記念館も見学したが、クメールルージュの愚かさ、残虐さを非難する気持ちよりも、人類の裏の歴史、いつ状況によっては我々日本人も悪魔になるかもしれない、中国侵略、南京事件はついこの間のことだが、それだけに、人間に対する不安と恐怖を覚えた。そこで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、合掌ということになる。



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