司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 一般国民は、普通の暮らしにおいては、税務署、年金等を別にすれば、自己所有の土地が国または自治体に買収されるとか、近くに原発が出来るとかというような事(国から直接不利益を被ること)でもない限り、その固有の権利を巡って、行政庁すなわち国家と対峙するようなことはそれほどないだろう。

 

 しかし、司法書士業者は、その業者(消費者に提供するサービスを買って貰って生存している人)たる国民の人権、営業権や経営権や雇用権は、日々国家権力の前にさらされており、常に、公務員の主観的恣意的権力行使の危険にさらされている。

 

 憲法遵守の義務を負い、身分保障という報酬保証を受ける見返りとして、使用人である国家との関係が、当事者間の契約ではなく特別権力関係にある、国家すなわち国民の支配命令を受ける立場にある公務員と、基本的人権が保障された私人である司法書士とは、その立場を全く異にする。国民に奉仕すべき公務員とその集団である役所と司法書士との関係は全く異なる。司法書士は、単なる規制下の独占業務を、国民に負託され請け負っている自由な一般国民に過ぎない。

 

 従って、司法書士法3条業務外のことに関しては、司法書士は原則的に自由なのであり、国民代表が定めた法律および適正に委任された命令以外には拘束される謂れは全くない。むしろ業務内外に関しては、公務員の適法な業務執行を、国民として監視する立場にある。仮に公務員の業務執行に違法があれば、これを当該官庁に率先して不服申し立てをするなり、告発し、あるいは公開の法廷に、行政処分の取り消し、無効を申し立てる。一方においては、広く世論マスメデイアにもその違法処分の実態を訴えるべき義務が、法律業務を職業とする国民としての司法書士にはあるのではないか。

 

 強制加入団体が課する高額な司法書士会費についても大いに疑問がある。税金の場合には憲法上の租税法律義務に従って徴収は厳格な手続きのもとに実行されている。根拠は国家権力による私有財産権侵害からの国民の保護である。国税がこのような厳格な手続きのもとで国民の財産権を保護しているのに、強制加入団体である司法書士会の会費強制徴収という会員からの私有財産権の剥奪は、東京会で言えば、間接選挙手続きによる総会決議で、月1万8千円、年間21万6千円という高額な会費であるにも関わらず、いとも簡単に決まってしまう。このようなことが先進国においてあるだろうか。

 

 司法書士会と弁護士会は全く違う。同じ強制加入団体であってもその構成員の質も業務も全く異なる。本来官庁が直接国民に対して給付すべき登記処分手続きの一部を、民間に外注するその制度が、司法書士制度であって、遅れた資本主義の原始蓄積の実行手段、不動産担保主義を支える制度として明治時代にドイツを真似て創設した制度なのだ。

 

 結論としては司法書士会にも行政とは独立した自治が必要である。不動産登記の将来は、先進国共通の国際的低金利時代、少子化時代、IT系ではコンピュータ国家エストニアの現実を見ればわかるように、その手続き合理化要請の前に、真っ暗であるから、司法書士業界には、法務局職員の再就職先としても魅力がなくなってしまった。

 

 とすれば、司法書士は今こそ自治権の獲得、司法書士法改正を国会に求めても良いのではないか。そのためには、その必要性を世論に訴えねばならない。しかし、それは弁護士会の自治権を真似ることではない。それでは資格カルテルで損害を長年被ってきた国民は納得しないだろう。権力の干渉排除と業務規律の維持、国民の信頼獲得が弁護士自治の目的だろうが、司法書士の自治権獲得の目的は、自主的業務規律の維持と国民の信頼獲得であることは勿論のこと、何よりも、司法書士自身の人権を、権力の恣意的行使や思いつき、団体決定への干渉を排除して守ることであり、結局そのことが、サービスの質向上をとおしての国民生活の利益になる、そのことを丁寧に国民やメデイアに説明して行かねばならないだろう。



スポンサーリンク


関連記事

New Topics

投稿数1,193 コメント数410
▼弁護士観察日記 更新中▼

法曹界ウォッチャーがつづる弁護士との付き合い方から、その生態、弁護士・会の裏話


ページ上部に