司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 20年も前のこと、抹消移転設定というお馴染みの不動産登記を月に60件、100件とやっているうちに、こんな単純な事務でお金をもらっていいのだろうかと私は時々疑問にかられ不安に陥ることがあった。権利実体変動に関与しない、しかもすべきでもない登記事務自体は単純である。そのことを否定する司法書士はいないだろう。しかしそれがゆえにイギリスがそうであったように登記業務はIT技術をベースにオンライン化されて、近いうちに民営化されるのではないかと誰でも考えている。細田さんは、裁判事務はなさらないようだが、技術要因も含めて登記事務と登記司法書士の行方をどう考えられているのだろうか。今や高齢化しつつある低賃金無保護の補助者の運命はどうなるのだろうか。

 
 グローバル経済化により当然に引き起こされた不動産担保価値の下落と人口減少要因で不動産登記事件数の絶対量は今後も減り続けて行くだろうし、その流れは変えられない。

 
 80年代90年代のよき時代、司法書士の絶頂時代を「慈しみ」ながら、細田さんは「平成13年(2001年)に規制改革により報酬自由化になり、個々の事務所において報酬を定めることになった結果、低報酬により大量の事件を受任する事務所も現れたという」と、司法書士の価格競争に否定的である。しかし、規制改革の目的が、競争によるサービスの質向上と競争によって決まる公正な価格の実現にあったのだから、大半が定型的な事務である不動産登記事務の提供される質が同一であれば、低廉な価格での提供者に業務依頼が集まるのは当然であるし、その結果、事務所規模も大型化するであろう。それでは、細田さんの言う市民のための司法書士制度、市民の利益に奉仕する司法書士制度とは一体何なのであろうか。

 
 細田氏は、この規制改革の結果、「司法書士資格がマネーライセンスとなり、誰のための資格か、何を目的にした資格かを充分に理解していない会員が増えていると感じるのは私だけであろうか」と嘆かれる。しかし、私は、貴方にはそれが分かっているのかと問いたい。司法書士法1条の目的、2条の職責規定以外に、何か司法書士には3条業務を離れてなすべきことがあるのだろうか。司法書士個人として保有する憲法13条の個人の尊厳と幸福追求権に対し、司法書士という強制加入の私的団体が、指導という名のもとで、恣意的にその基本権、業務実行の際の手段の選択や価格の設定に介入できるようなことがあって良いのだろうか。これを任意に法律によらず制限できるとすれば、司法書士会の個々の構成事業者の創意工夫や積極的な事業展開などを抑制する事となる。であるから、独占禁止法は、8条で、団体の自治規範等による競争妨害行為を禁止しているのである。

 
 はっきり言えば、弁護士外の、所謂専門法律資格業者の大半は、他社会で飯を食えないから、試験を受けて、資格を得て生活しようとして来た者達なのではないか。こうした人達が、生計が維持できるように配慮した「価格と業務の独占権により競争から保護される資格」、これこそがマネーライセンスそのものなのではないか。一部規制が解除された現在の司法書士資格について見ると、最近の受験生減少に見られるように、細田さんの言う司法書士資格のマネーライセンス性が、弁護士との競争にもさらされて、最近ではかえって少なくなっているのではないか。

 
 そう考えると、細田氏の「原点に戻る」とは、実は、価格広告競争排除独占の平成13年、2001年、それ以前の世界に戻るということなのだ。情報化しグローバル化した21世紀の時代から、20世紀に戻るということなのだ。細田氏は、月報司法書士3月号の巻頭言で、司法書士制度の崩壊の始まりは総て「平成13年(2001年)の規制改革」つまり価格競争と広告規制の撤廃にあったと主張されているように思われる。

 
 以上は、細田論文の総論部分に関しての私の意見であった。次回以降では、細田氏が得意とする登記以外の分野についての細田氏の現状批判につき解説する。



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